熊谷
【読み】くまがい,くまがや,くまがえ,くまたに,くまや,くまだに,くまかい,くまかや,くまがひ,くまざわ,くまずい,くめがい
【全国順位】
158位
【全国人数】
およそ126,000人
由来解説
熊谷さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 宮城県 | およそ18,200人 |
| 岩手県 | およそ12,400人 |
| 東京都 | およそ12,300人 |
| 北海道 | およそ10,300人 |
| 神奈川県 | およそ9,100人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 宮城県気仙沼市 | およそ6,100人 |
| 岩手県一関市 | およそ3,000人 |
| 岩手県盛岡市 | およそ2,700人 |
| 長野県飯田市 | およそ2,400人 |
| 秋田県秋田市 | およそ1,800人 |
熊谷さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 岩手県 | 1.04824% |
| 宮城県 | 0.81709% |
| 秋田県 | 0.45903% |
| 長野県 | 0.30097% |
| 青森県 | 0.20751% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 福岡県朝倉郡東峰村 | 21.334% |
| 愛知県北設楽郡豊根村 | 18.36% |
| 長野県下伊那郡天龍村 | 17.445% |
| 岩手県下閉伊郡田野畑村 | 14.261% |
| 長野県下伊那郡平谷村 | 12.811% |
熊谷さん有名人ランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 熊谷 直好 | 1782年 3月 21日 | 文学者 | 江戸後期の歌人、周防岩国藩士、熊谷直実24世、安芸熊谷氏分家 |
| 熊谷 直実 | 1141年 3月 24日 | 歴史 | 平安末期〜鎌倉初期の武将、武蔵国熊谷郷熊谷直貞次男 |
| 熊谷 奈美 | 1977年 3月 22日 | 芸能人 | |
| 熊谷 幸子 | 1963年 3月 19日 | 芸能人 | |
| 熊谷 俊人 | 1978年 2月 18日 | 政治家 |
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| 熊谷 哲哉 | 研究者 |
|
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| 熊谷 真美 | 1960年 3月 10日 | 芸能人 | |
| 熊谷 直家 | 1169年 | 歴史 | 平安末期〜鎌倉前期の武将・御家人、直実長男 |
| 熊谷 松陰 | 1823年 11月 3日 | 歴史 | 国学者、詩人 |
| 熊谷 公男 | 1949年 | 研究者 | 歴史学者 |
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| 熊谷さん みんなの名字の由来 |
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武蔵熊谷氏は、桓武平氏流熊谷氏の子孫かつ、熊谷氏発祥地を拠点とし続けた一族である。 熊谷直家息子・熊谷直重が本拠とする。ただし熊谷郷に関しては前述のように、直実が庶子である家真(実家)に譲った譲状が残され、その子孫である安芸熊谷氏(本庄熊谷氏)が熊谷直継の代まで拠点にして、安芸には代官を派遣していた、とされており、研究の余地がある。 しかし室町時代の応永34年(1427年)に発生した荒川の大洪水の結果、それまで熊谷郷北側を流れていた荒川が熊谷郷の中を通るようになり、経営困難になった熊谷氏はこの地を放棄したとみられている。 また、熊谷氏と関係が深かった熊野御師の橋爪氏が、応永21年(1414年)に熊谷郷旦那職を売却しており、洪水直前には熊谷氏が武蔵から立ち退いた可能性があるとする見解もある。 いずれにしても、応永年間前後に熊谷氏は熊谷郷を立ち去り、室町時代後期には熊谷郷だった地域は新興の成田氏支配下に置かれる。 以後、比企郡根岸村、和泉村を知行、戦国期まで存続。安芸本庄系熊谷氏の熊谷直経に嫡子が無かった際には、養子として熊谷郷の熊谷氏から養子を取っている(後に嫡子が誕生し、養子の信直が家督を継ぐことはなかった)。 |
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【投稿日】2026/03/24 09:39:57 【投稿者】匿名さん |
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近江国の熊谷氏は、桓武平氏流熊谷氏から派生して近江国を拠点とした一族である。 熊谷直貞の長男、直実の兄である直正系統の子孫にあたり、熊谷氏惣領を称した。 近江国浅井郡塩津郷に住んだことに始まる。ただし前述の承久の乱による惣領家の交替が発生したとする説では、直家の子孫が直正の系統の名跡を継いだとする。 室町時代には奉公衆として室町幕府に仕えている。「塩津熊谷衆」はその筋にあたる。近江国で地頭職を与えられ、赴任して以後、湖北地方一帯に勢力を延ばした。 京都を本店とする書画用品・香の老舗専門店の鳩居堂は、この近江熊谷氏の系統(今西熊谷氏)に連なり、直実20代目の子孫を称する直心が創業した。 |
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【投稿日】2026/03/23 11:06:06 【投稿者】匿名さん |
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桓武平氏流熊谷氏は、平安時代に武蔵国熊谷郷(くまがいごう、埼玉県熊谷市)を領し、熊谷を名乗った氏族である。各種系譜によれば、北条氏と同じく平直方の子孫を称す。 初代・熊谷直貞は、桓武平氏・平直方の孫の平盛方の子。平直貞と称する。 父盛方は鎌倉幕府執権の北条氏の本家筋であった。 別説では、宣化天皇を祖とする丹治姓・私市氏の熊谷直季が熊谷氏を名乗っており、その孫熊谷直孝の後継として、平氏一門である平直貞が養子に迎えられたという。 第二代・熊谷直実は、熊谷直貞の次男、熊谷次郎直実。石橋山の戦いでは挙兵した源頼朝を攻め撃破したが、後に頼朝に従って、平氏追討で多くの戦功を立てている。一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち、勇名を馳せた。 しかし建久3年(1192年)、直貞の没後に直実を養育した母方義理の叔父・久下直光と所領を巡り争い、敗れると家督を嫡子・熊谷直家に譲って、法然の弟子となり出家したのは有名なエピソードである。 第三代・熊谷直家は、父に従い源平合戦で活躍した。 直家の嫡男熊谷直国は、本拠の武蔵熊谷郷に住んだが、承久3年(1221年)の承久の乱の際に宇治川で討死した。 ところが武蔵国熊谷郷では、直実が直家の同意を得て、庶子である「四郎家真(実家)」に譲ったとする譲状の存在が伝えられており、熊谷郷を領して子孫に継承させた直国は、直家の子ではなく家真(実家)の子とする説が有力視されるようになった。 また、承久の乱において熊谷氏の中に、後鳥羽上皇に味方した者が多数存在したと指摘されると共に、乱の結果として惣領家の交替が発生(幕府に忠節を尽くし死んだ直国遺児が惣領として取り立てられた)し、後に近江と安芸の熊谷氏が、共に惣領と称するようになったとする見解も出されている。 治承4年(1180年)、熊谷直実が、石橋山の戦いに敗れて落ち延びた源頼朝を見つけた際に、寓生(ほや)で頼朝を覆い隠し身の安全を図ったという。 その時偶然にも2羽の鳩が飛んだ。後に直実が源頼朝家臣になった際、エピソードを憶えていた頼朝より、家紋として渡された。 |
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【投稿日】2026/03/21 21:00:47 【投稿者】匿名さん |
| 聖徳太子の一族で天武天皇の曾孫の田中多太麻呂が東海道節度副使として赴任した時に開墾地につけた地名をそこに移り住んだ子孫の源平や家臣など関係者が名乗っています。 田中氏は聖武天皇が大仏建立で財政を傾けたものを全国を開墾して納税で立て直しをはかっています。田中氏は蘇我氏子孫で皇族子孫のため地方を開墾できる馬、資力、技術者、私奴婢を抱え、自分の息子らも各地に土着させ数年で日本の大半を開墾し地名をつけました。 奈良時代以前は原野にアイヌ語の呼び名や古くからの由来もあったと思いますが、田中はアイヌ語の音に当て字をした事例はありますが、古い由来は引き継いでいない印象です。形状から地名をつけることはあまりなく、99%ほぼ自分や縁組み相手の先祖の字を組み合わせています。田中にとって地名は先祖供養や誰を住まわせるか名札代わりみたいで、規則的に先祖の字をつけています。 田中の嫁が藤原魚名(小野妹子の子孫で、奥州藤原氏や小野寺氏の先祖)の娘でしたが、魚名夫妻の先祖に蘇我荒熊子と武振熊命がいました。田中氏の嫁側先祖に熊の字がつきました。 そして田中氏の先祖には谷のつく長谷王(聖徳太子の息子)がおり、さらに田中氏の親戚で縁組み関係にあった坂上氏も近江で谷姓を名乗っていたため田中氏は坂上氏との共有地にもよく谷の字を使っていました。田中小野坂上は縁組みを繰り返している仲良しの親戚でした。そのため熊と谷を組み合わせ熊谷の地名になりました。 桓武平氏の先祖には田中氏小野氏百済王氏がおり、清和源氏の先祖には田中氏小野氏坂上氏百済王氏がおりますが、源平はどちらも田中氏の子孫です。田中多太麻呂の娘が桓武平氏に嫁ぎ、田中多太麻呂の孫たち(藤原魚名の娘や藤原御楯の娘などが産んだ息子の娘)が平城天皇、嵯峨天皇に嫁ぎ、その子孫の娘が清和天皇に嫁ぎ清和源氏につながっています。 源平は田中つながりの身内のため同じ地域に源平が同居し、仲良く縁組みした時代がありました。熊谷は田中小野にまつわる字の組み合わせなのため、源平どちらの先祖にも該当し名乗りやすい地名だったと思います。 |
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【投稿日】2025/06/13 07:44:38 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
| 青森県弘前市出身です。 |
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【投稿日】2023/05/09 22:32:45 【投稿者】くまさん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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