奥平
【読み】おくだいら,おくひら,おくたいら
【全国順位】
1,714位
【全国人数】
およそ9,000人
由来解説
②中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)伊周流がある。
③ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)。
④村上天皇の皇子具平親王の子師房にはじまる源氏(村上源氏)等がある。
⑤奥平信昌が有名である。
元亀4年(1574年)ごろ徳川家康は奥三河における武田氏の勢力を牽制するため有力な武士団・奥平氏を味方に引き入れることを考え、奥平氏に使者を送った。
織田信長が「家康の長女・亀姫を貞能の長男・貞昌に与えるべし」との意見を伝 え嫁がせた。
関ヶ原の戦いでは本戦に参加。
家康は、名刀大般若長光を授けて信昌を賞賛した。
家康はそれだけに留まらず、信昌の籠城を支えた奥平の重臣12名に対して一人一人に労いの言葉をかけた上に、彼らの知行地に関する約束事など子々孫々に至るまでその待遇を保障するという特異な御墨付きまで与えた。
戦後は京都の治安維持のため、京都所司代を翌年まで務める。元禄8年1695年に子孫である昌成の時代に丹後宮津城転封。
奥平さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 沖縄県 | およそ1,900人 |
| 東京都 | およそ1,100人 |
| 愛知県 | およそ780人 |
| 兵庫県 | およそ670人 |
| 神奈川県 | およそ610人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 沖縄県宮古島市 | およそ810人 |
| 沖縄県那覇市 | およそ310人 |
| 兵庫県姫路市 | およそ240人 |
| 沖縄県浦添市 | およそ210人 |
| 鹿児島県阿久根市 | およそ150人 |
奥平さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 沖縄県 | 0.13283% |
| 鹿児島県 | 0.01848% |
| 愛媛県 | 0.01524% |
| 兵庫県 | 0.01255% |
| 鳥取県 | 0.01183% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 東京都西多摩郡奥多摩町 | 2.427% |
| 沖縄県宮古島市 | 1.495% |
| 鹿児島県阿久根市 | 0.756% |
| 埼玉県比企郡嵐山町 | 0.58% |
| 沖縄県宮古郡多良間村 | 0.58% |
奥平さん有名人ランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 奥平 定武 | 歴史 | 土佐奥平家祖 | |
| 奥平 貞俊 | 歴史 | 奥平氏2代、三河奥平氏初代 | |
| 奥平 康弘 | 1929年 5月 19日 | 研究者 | 法学者 |
| 奥平 主馬允 | 歴史 | 萩奥平家祖 | |
| 奥平 昌能 | 1633年 8月 25日 | 歴史 | 下野宇都宮藩主、出羽山形藩初代、中津藩奥平家3代 |
| 奥平 貞国 | 歴史 | ||
| 奥平 定能 | 1537年 | 歴史 | 戦国武将、奥三河国衆、奥平氏6代、上野小幡城主 |
| 奥平 広隆 | 歴史 | 松平勘解由分家奥平家、松平勘解由広業父 | |
| 奥平 信昌 | 1555年 | 歴史 | 戦国武将、上野小幡藩初代、美濃加納藩初代、奥平定能長男 |
| 奥平 忠昌 | 1608年 | 歴史 | 下野宇都宮藩2代、下総古河藩主、奥平家昌長男 |
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| 奥平さん みんなの名字の由来 |
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奥平信昌の末男・松平忠明は、家康の外孫として、家康の養子として松平姓を許され、「奥平松平家」を興し、故郷三河作手藩の初代藩主となった。 慶長15年(1610年)に忠明が伊勢亀山藩に移封されたため作手藩は廃藩となったが、所領は大坂転封で天領となるまで、引き続き忠明のものとなった。以降も忠明には転封が続き、摂津大坂藩、大和郡山藩、最終的に播磨姫路藩主(18万石)となった。子である松平忠弘にも転封が続き、出羽山形藩、下野宇都宮藩、陸奥白河藩、10万石に減封、再び出羽山形藩に移されたが、隠居した。 以後は備後福山藩、伊勢桑名藩をへて武蔵忍藩主として明治4年(1871年)の廃藩置県を迎えた。江戸時代後期の藩主松平忠国は、忠明最後の男系子孫でもある。 上杉氏の出身で明治2年(1869年)に最後の藩主となった松平忠敬は、同年の版籍奉還の際に藩知事に転じ、華族に列し、明治4年(1871年)の廃藩置県まで藩知事を務めた。明治17年(1884年)の華族令施行で華族が五爵制になると旧小藩知事として子爵。 その息子の2代子爵松平忠寿は、海軍大佐まで昇進した軍人で、退役後には貴族院子爵議員に当選して務める。 昭和前期に子爵家の邸宅は東京市豊島区池袋にあった。 |
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【投稿日】2025/07/24 11:20:36 【投稿者】匿名さん |
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武家・華族の奥平(おくだいら)氏は、戦国時代に三河南設楽北東部の作手地方(愛知県新城市)に住し、今川氏、のち徳川氏に仕え、江戸時代には10万石の譜代大名(廃藩置県時に豊前国中津藩主)として続き、明治維新後華族の伯爵家に列す。 家伝では上野国が発祥地と言われている。その後、上野国の所領を放棄して、三河国に新天地を求め転住したと伝える。 村上源氏の後裔を自称した赤松氏の一族と称しているが、丈部姓有道氏流児玉氏一門の片山氏支流という説もある。 三河山間部の小豪族に過ぎなかった奥平氏が、台頭するのは奥平定能(貞能)の代、元亀年間(1570年 - 1573年)からになる。 天正3年(1575年)5月、長篠の戦いの戦功により、定能の長男奥平信昌(貞昌)が、徳川家康の長女・亀姫の婿として認められる。亀姫との間には4男1女が生まれ、早世した1子を除き、分家を「徳川家御連枝」として興すことを許され、信昌の子たちは家康の外孫として厚遇された。 そのため信昌は、家康の女婿として上野国甘楽郡小幡(宮崎)3万石を領し、関ヶ原の戦い以降は美濃国加納10万石を領した。 江戸時代には大名となり、下野国宇都宮10万石を領した。後に、豊前国中津10万石に移領し、明治4年(1871年)の廃藩置県まで存続した。 昌邁の代の明治2年(1869年)の版籍奉還の際に華族に列し、明治17年(1884年)の華族令施行で華族が五爵制になると旧中藩知事として伯爵家に列す。 2代伯爵奥平昌恭は貴族院伯爵議員に当選して務め、研究会に属す。また実業家としても活躍、国際日本協会会長、樺太鉄道会長、八千代生命保険会長、朝鮮銀行監事などを歴任。 昭和前期に奥平伯爵家の邸宅は東京市芝区高輪南町にあった。 |
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【投稿日】2025/07/24 11:18:00 【投稿者】匿名さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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