【名字】武田

【読み】たけだ,たけた,たげた,むた

【全国順位】 89位
【全国人数】 およそ193,000人


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【名字の由来解説】

①現茨城県である常陸国那珂武田郷が起源(ルーツ)である、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏義光流、日本屈指の大族である。
清和源氏義光流は現山梨県甲斐国北巨摩武田村発祥の武田氏族。異流もみられる。

語源は竹田が原意で、武家の竹田氏が文字を改めたとされる。
植物名で符牒的に区別したとも言われるが、実際に植物が植わっている地形もある。また、竹林に近い田という場合もある。家紋は割り菱、三階菱、菊など。
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最終更新:2024/12/01 20:01:15  最終更新者:匿名


武田さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
東京都 およそ21,000人
北海道 およそ13,800人
大阪府 およそ13,100人
神奈川県 およそ12,700人
愛知県 およそ10,200人
市区町村人数
山形県山形市 およそ3,800人
愛媛県今治市 およそ1,500人
岡山県岡山市 およそ1,400人
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東京都八王子市 およそ1,200人

武田さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
山形県 0.88407%
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愛媛県 0.40511%
宮城県 0.32911%
徳島県 0.31645%
市区町村比率
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山形県東村山郡山辺町 4.755%
愛知県北設楽郡豊根村 3.894%
愛媛県北宇和郡鬼北町 3.419%
※詳細は地図またはリンクをクリック

武田さん有名人ランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
武田 信玄 1521年 12月 1日 歴史 戦国大名、甲斐源氏19代当主、武田氏16代当主
武田 羅梨沙多胡 9月 30日 芸能人 声優 「羅梨沙」が名、「多胡」は父方の姓
武田 頼政 1958年 11月 30日 文学者 ジャーナリスト ノンフィクション作家
武田 考玄 1916年 12月 1日 その他 命理家 本名土屋達一郎
武田 英信 その他 甲斐武田家17代目当主【信玄公子孫】
武田 恵瑠々 11月 28日 芸能人 声優
武田 涼花 その他 NHKアナウンサー
武田 明倫 1937年 12月 1日 文学者 音楽評論家
武田 博行 1983年 11月 30日 スポーツ選手 プロサッカー選手
武田 カオリ 1978年 11月 13日 芸能人 歌手
※上記は直近一週間のアクセス数Top10です。すべての武田さん有名人は以下から確認できます。

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【戦国武将・大名の家紋】


諏訪梶の葉

花菱

武田菱

松皮菱
武田さん みんなの名字の由来
清和源氏(甲斐源氏)武田氏族の三重県における一族は、北勢四十八家の【南部氏】【富田氏】【大矢知氏】と志摩地域に栄えた【愛洲氏】がある。これみな【新羅三郎義光『手島義光』】の後裔。
【投稿日】2023/07/21 08:45:53
【投稿者】テシハルさん
武田氏の統計数は、【歴史読本】昭和62年(1987年)では、12万人程であるが、2023年現在は、19万人程であるので、ここ36年で7万人増えたことになる。
【投稿日】2023/07/15 06:06:24
【投稿者】伊勢の悪源太さん
【武田信玄】は、先祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋【花菱】を愛用した。
【投稿日】2023/07/08 21:17:41
【投稿者】伊勢の悪源太さん
【武田氏】は甲斐源氏の惣領として【御旗】と【楯無】を引き継ぐことになる。この【御旗】【楯無】は【新羅三郎義光】『手島義光』が父頼義から引き継いだものである。【御旗】は日本最古の日の丸、【楯無】は鎧。
【投稿日】2023/06/25 18:05:17
【投稿者】テッシーさん
常陸武田一族の出自について
甲斐武田家「武田信久」が甲斐国より常陸に来られ常陸武田家の氏祖となっています。主城は「木崎城」です。時代は明徳三年(1392)と伝わります。江戸時代に入り水戸徳川家家臣となりました。この武田信久の来訪以前にも常陸には佐竹家臣の武田氏がおりまたこの常陸が武田氏発祥の地ですので常陸土豪としての武田氏が最古参と考えられます。 
【投稿日】2023/06/23 08:07:13
【投稿者】勝胤さん
常陸武田一族の武田さんについて
常陸国行方郡武田村に武田城があった。(茨城県鉾田市二重作)城主「武田信房」は、常陸大掾一族(鹿島、島崎、行方、烟田他)に加担していたため天正19年(1591)2月佐竹勢に攻められ落城しています。この事件を「常南三十三館」の壊滅といいます。(関連投稿に島崎さんがあります。)
下総武田氏の居城である武田城(武田信家:千葉県香取郡神崎町)は、常陸武田城の南20kmにあります。こちらは天正18年に落城しておりました。
【投稿日】2023/06/22 09:52:30
【投稿者】勝胤さん
房総武田一族の武田さんについて(2)
千葉県北端の下総国にも武田城があった。場所は、千葉県香取郡神崎町武田字城台です。この武田氏について「香取郡史」では、「武田城の初代城主は「武田信濃守信光」。信光の子孫「武田石見守」の子である「武田四郎信家」は天正18年(1590)小田原北条方となり討死、武田城は以後廃城となっている。」とあります。
こちらの下総武田氏からは古くから千葉氏の家臣や佐竹氏家臣になられた方が居りました。
武田城の近くに武田信光公創建の「曹洞宗高源院」があります。残念ながら火災により記録を消失されています。 
【投稿日】2023/06/11 15:35:55
【投稿者】勝胤さん
房総武田一族の武田さんについて(1)
千葉県史に千葉県の武田氏について詳しく記述されています。房総武田一族の氏祖は「武田信長」(右馬介)。出自は武田信玄の五代祖先「武田信満」の子とある。康正年間(1454)頃に上総国に移り真里谷城(麻里谷城)(千葉県木更津市真里谷)及び庁南城(千葉県長生郡長南町)を築いた。また他に支城を七つ築城して上総国の一大勢力となっている。
庁南城の最後の城主「武田豊信」は武田信玄公の三男です。(先代に子が無かったため甲斐より入った。)これら上総国の各城は、天正18年(1590)豊臣勢により落城しています。
*甲斐・信濃発祥の名字は、千葉県中央に多く見られます。
*真里谷城武田氏の子孫は後に「真里谷」を姓にした方も居られます。但し千葉氏一族にも古くは真里谷を領して真里谷姓が出て居りますので2つの流れが混雑しています。
【投稿日】2023/06/11 15:17:29
【投稿者】勝胤さん
【呉武田学園】は、周防武田氏(山口県)さらに安芸武田氏(広島県)から綿々と繋がって清和源氏の流れをくんでいる。
【投稿日】2023/06/07 17:54:04
【投稿者】ハルちゃんさん
【新羅三郎義光】(武田氏族の祖)の流の同族として、近江(滋賀県)に広まった子の義兼子孫の【新羅源氏】として山本氏、柏木氏、錦織氏、箕浦氏の諸氏がある。
【投稿日】2023/06/07 01:12:06
【投稿者】ハルちゃんさん
【清和源氏七四○氏族系図】昭和60年11月20日発行/千葉琢穂編著/展望社によると、【武田氏】義光流、(新羅三郎義光)が孫逸見黒源太清光二男信義は甲斐国(山梨県)武田に住し、武田をもって家号とした。家紋、割菱、武田菱。
【投稿日】2023/05/30 22:43:53
【投稿者】ハルちゃんさん
【清和源氏七四○氏族系図】昭和60年11月20日発行/千葉琢穂編著/展望社によると、【武田氏族の祖】の(新羅三郎義光)は、家号を【手嶋】と称えた。家紋【花菱】
【投稿日】2023/05/30 01:42:51
【投稿者】治彦さん
【歴史読本】によると、『清和源氏義光流』清和源氏の惣領義忠を自分の郎従に暗殺させ、その郎従を弟僧快誉に生き埋めにさせ、義忠暗殺の嫌疑を兄義綱にかぶせて義綱一族を滅亡に追いやった極悪非道の男、これが新羅三郎義光。八幡太郎義家の三弟である。義光の三男義清は、甲斐国に赴き、同国市河荘を本領として、一族を甲斐国に繁延させた。【武田】、逸見、大桑、一条、甘利、上条、下条、板垣、塩部、吉田、小松、万為、伊沢、石禾、岩崎、高畠、小笠原、加賀美、秋山、南部、丸毛、伴野、安田などの諸氏がそれである。
【投稿日】2023/05/14 13:44:48
【投稿者】治彦さん
岩手県南部の北上市は、仙台藩(伊達藩)の所領でした。仙台藩は62万5千石を領した大藩であり家臣も多く武田氏も武田金右衛門他七家の合計八家が勤仕しています。甲斐武田家、房総武田家とも没落後の家臣団は徳川家に御抱えとなっていますので伊達家でも採用されたのかなと思えます。(但し常陸国佐竹一族家臣の武田氏も居りました。甲斐武田氏の先祖は常陸国からであり佐竹氏の先祖と同じです。)
仙台藩家臣の武田氏の所領お手配地(目代地)が北上市付近と思います。またこの地は、伊達家と仲が悪い佐竹藩領(久保田藩)に近く武田氏なら摩擦が起こらないと配慮したとも思えます。
【投稿日】2023/04/26 15:47:36
【投稿者】勝胤さん
何故多いのか知りたいんですが、岩手県北上市和賀町煤孫は特に武田が多い地域で、これで調べると私の生まれ育った番地は特に武田が多い地域で有る事が分かるんですが何故この煤孫には武田が多いのでしょう。
【投稿日】2023/04/26 05:38:53
【投稿者】キャベツのコールスローさん
私の実家の家紋は武田菱ですけど、武田鉄矢と板垣退助が丸武田菱だったと言いますが確か私の実家も丸武田菱だった筈です。

普通の武田菱も有ったかと思います。
【投稿日】2023/04/26 05:35:07
【投稿者】キャベツのコールスローさん
【歴史読本/特集「姓氏の名流・源氏の系譜」】昭和六十二年十月号によると、『甲斐源氏は生きている』武田氏と小笠原氏、両者は甲斐源氏で、同族。武田氏は、甲斐国北巨摩郡武田村を本拠(発祥は常陸国那珂郡武田郷)とし、中世以来栄えた。戦国時代、武田信玄が出て、子の武田勝頼は天目山(てんもくざん)で敗死した。ただし、武田氏が滅んだと言っても、主流が滅んでも血統が絶えたわけではない。苗字は変えても、【家紋】は変えない。多く菱系の家紋を用いる。武田一族一門は、血涙の同盟をして祖法を守り、子孫の繁栄を誓う。彼らは武田姓を名乗らないが、発祥地の地名や、思いつきの苗字をつけてカムフラージュするたとえば【生天目氏(なまため)】『天目山に生きる』【一寸木氏(ちよつき)】『正訓マスキ→増城→城をふやす』などが【武田遺臣】であることは、誰も知らない。しかし、これらの苗字の人は、寝ていても祖家復興は忘れてはいないのである。
【投稿日】2023/04/16 21:04:27
【投稿者】手島さん
武田勝頼公の妃「龍勝院様」のご位牌を信玄公の旧臣が下総町滑河(千葉県成田市滑河)にある眞城院にまで持ちながら落ち延びて来た記録があります。なぜ下総までこられたのかについては名字の由来投稿「原」「千葉」にしました。ご参照下さい。なお千葉県中央部には「房総武田一族」もおり、茂原市内には私の友人の武田さんもいます。
【投稿日】2023/03/06 16:58:36
【投稿者】勝胤さん
武田鉄矢と武田氏族の板垣退助は、家紋が【丸に武田菱】らしい。
【投稿日】2023/01/22 11:16:41
【投稿者】手島さん
戦国時代に毛利家に仕えていた安国寺恵瓊は、元安芸武田家の者と言い伝えられている。
【投稿日】2022/12/30 21:13:20
【投稿者】てっちゃんさん
甲斐源氏の祖の清和源氏源義光【新羅三郎義光】を同一祖とする常陸源氏がある。常陸源氏の佐竹氏と甲斐源氏武田氏の間で戦国時代に、【甲佐同盟】が存在した。
【投稿日】2022/11/09 00:01:49
【投稿者】てっちゃんさん
新潟市公式ホームページによると、新潟市文化財センター【新潟市西区木場】に、旧武田家住宅がある。言われは古く甲斐武田家の武将を先祖に持つ武田家の住宅。
【投稿日】2022/11/08 23:23:48
【投稿者】てっちゃんさん
ABCテレビ朝日系列2022年11月6日放送の【ポツンと一軒家】で岩手県の山奥に甲斐武田氏の末裔の武田さんが登場した。
【投稿日】2022/11/08 06:49:54
【投稿者】てっちゃんさん
以前、長野県の上田市に仕事で行った時に、【武田味噌】の女将さんに会いました。こんな僕に、この味噌屋は、武田信玄の弟の子孫だと説明してくれました。
【投稿日】2022/08/16 14:07:01
【投稿者】てっちゃんさん
みんなの名字の由来 投稿
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武田さん みんなの家紋のはなし


左三つ巴
【都道府県】東京都

寛政重修諸家譜‼️家紋で調べています🎵
出身地不明です‼️

【投稿日】2023/08/04 16:06:21 【投稿者】修さん


花菱
【都道府県】山梨県

【武田氏族の祖】(新羅三郎義光)『手嶋義光』の家紋。

【投稿日】2023/05/31 18:14:31 【投稿者】ハルちゃんさん

たちばな
【都道府県】熊本県

名字、武田

【投稿日】2023/01/01 13:22:19 【投稿者】ピラニアさん


武田菱
【都道府県】神奈川県

父が、我が家の家系は信玄公の次男の次男が、長篠の戦いのとき、地方に逃げ、子供連れだった女性と結婚し、その子供の家系らしいので、信玄公とは血の繋がっていないみたいですが、分家と聞いています。

学校等の授業で、武田は滅びたといわれると、少し複雑でした😅

【投稿日】2021/08/08 17:32:18 【投稿者】しさん

 

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