松平
【読み】まつだいら,まつひら,まつたいら,まつへい,しょうへい
【全国順位】
1,873位
【全国人数】
およそ8,000人
由来解説
松平さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 東京都 | およそ1,200人 |
| 北海道 | およそ790人 |
| 神奈川県 | およそ790人 |
| 愛知県 | およそ550人 |
| 大阪府 | およそ530人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 石川県金沢市 | およそ170人 |
| 岩手県奥州市 | およそ110人 |
| 愛知県瀬戸市 | およそ100人 |
| 富山県黒部市 | およそ100人 |
| 愛媛県南宇和郡愛南町 | およそ100人 |
松平さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 富山県 | 0.03298% |
| 石川県 | 0.0286% |
| 和歌山県 | 0.0208% |
| 愛媛県 | 0.01857% |
| 岩手県 | 0.01705% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 北海道雨竜郡雨竜町 | 1.484% |
| 北海道古宇郡神恵内村 | 0.518% |
| 愛媛県南宇和郡愛南町 | 0.456% |
| 北海道沙流郡日高町 | 0.41% |
| 北海道上川郡鷹栖町 | 0.321% |
松平さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 松平 頼道 | 1657年 5月 3日 | 歴史 | 常陸宍戸藩2代藩主、松平求馬頼利長男、宍戸松平家 |
| 松平 乗美 | 1792年 5月 5日 | 歴史 | 美濃岩村藩主、乗政流大給松平家6代 |
| 松平 璃子 | 1998年 5月 5日 | 芸能人 |
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| 松平 乗完 | 1752年 5月 4日 | 歴史 | 老中、三河西尾藩2代藩主、大給松平宗家12代 |
| 松平 頼雄 | 1668年 5月 3日 | 歴史 | 江戸前〜中期の伊予西条藩世嗣、西条松平頼純四男 |
| 松平 光行 | 1769年 5月 4日 | 歴史 | 信濃松本藩6代藩主、戸田松平家11代、大身旗本戸田光為四男 |
| 松平 斉 | 1874年 5月 5日 | 歴史 | 美作津山藩松平斉民八男、男爵津山松平分家初代 |
| 松平 朝矩 | 1738年 5月 2日 | 歴史 | 播磨姫路藩主、武蔵川越藩主、直基系越前結城松平家5代 |
| 松平 頼洽 | 1750年 5月 3日 | 歴史 | 江戸中期の常陸宍戸藩世嗣、松平頼多長男 |
| 松平 定安 | 1835年 5月 5日 | 歴史 | 出雲松江藩10代藩主、雲州松平家10・12代当主、津山松平斉孝七男 |
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【戦国武将・大名の家紋】
| 松平さん みんなの名字の由来 |
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松平郷松平家(まつだいらごうまつだいらけ)は、三河国豪族・松平氏の宗家。 別名に松平太郎左衛門家(まつだいらたろうざえもんけ)・挙母松平家(ころもまつだいらけ)。 松平氏発祥の地・加茂郡松平郷(現・愛知県豊田市松平町)を所領とし、明治維新まで代々この地を領した。 松平郷松平家の実質上の初代は、親氏流松平家の初代・松平親氏(14世紀後半頃)の長子とされる信広である(『松平太郎左衛門家16代信古年代覚書』では代数起算を親氏としている)。 信広の弟とされる松平氏三代・松平信光が、所領を三河国平野部に拡張して額田郡岩津郷(岡崎市岩津町)に居城を移したとき、松平氏の元来の所領である山間部の松平郷が、長子の信広に譲られたことにより、嫡子の信光系松平本宗家(安祥松平家または岩津松平家))から別家された信広系の松平郷松平家(挙母松平家)が成立した。 ただし庶宗家と呼ばれるのは、分家の一つ安祥松平家(徳川家)の成長後であり、元来の所領を受け継いだことから考えて、実際は名実共に嫡宗家と見られていたと考えられる。 信広は、親氏の岳父松平信重まで代々の松平郷領主が名乗ってきた「太郎左衛門尉」の通称を受け継ぎ、宗家として「松平太郎左衛門」を名乗ったとする。 故にこの家の別名は、「挙母松平家」とともに「松平太郎左衛門家」とも呼ばれる。信広以降の松平郷松平家の当主は、「松平太郎左衛門」を歴代の通称とし、代々松平郷を継承。 松平郷松平家は松平氏宗家にあたるものの、平野部に進出した岩津松平氏の流れが戦国大名に発展していくのに対して、松平郷のみを領する土豪から発展することはなかった。 16世紀には、近隣を領する松平氏の一派、大給松平家の影響下に入るほどで、当時三河の各地で繁栄していた松平氏一族を称していう「十八松平」にすら数え入れられていない。 その後当主は安祥松平家の松平親忠・松平清康・松平広忠に仕え、3代続けて戦死。家康に仕えた由重も戦で重傷を負い、その後は戦場に出ることなく松平郷に閑居した。 家康の関東移封後の松平郷は、田中吉政の領地となった。由重の子尚栄は慶長18年(1613年)に家康に拝謁し松平郷210石を与えられ、大坂の陣後には林添村230石を加増され、合計440石を領するようになった。 この際に課役を免除、歳首ごとに領地から江戸に参勤するよう命じられた(交代寄合)。 また子の信正は加茂郡内に200石を与えられたが、父に先立って没している。信正の弟信和は父の遺領を継ぎ、寄合となった。 江戸に屋敷は与えられず、江戸に入った際は、分家で江戸在府旗本の松平次郎左衛門家か、奥殿の大給松平氏の屋敷の居候扱いとされた。 細々と明治維新まで松平郷を領し続けて、家名は現代まで続いている。 昭和初期の当主、松平信博は映画音楽の作曲家として活躍した。2007年に死去した当主松平弘久は第一勧業銀行常務をつとめた。 |
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【投稿日】2026/03/26 19:36:31 【投稿者】匿名さん |
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松平大膳家(まつだいらだいぜんけ)は、江戸時代の高松松平家御厄介(一門)。 初代藩主松平頼重七男頼芳を祖とする。代々の当主は志摩、大膳などの通称を名乗った。 頼煕の長男松平頼桓は、頼煕の後見を受けて4代藩主に就いた。また頼煕の家督は頼桓の弟である頼珍、次いで頼央が継いだが、この2人は相次いで徳島藩主蜂須賀家に養子入りしている(8代藩主宗鎮・9代藩主至央)。 彼ら3人の代で高松藩では頼芳の血筋は絶え(徳島藩では藩主一門の家系として残った)、藩主には水戸家の別の御連枝である守山松平家から松平頼恭が迎えられ、五男の頼昌が大膳家を継いだ。 以後、藩主家・大膳家とも頼恭の血筋で続いた(藩主は幕末には水戸本家から養子を迎えている)。 2002年に、高松市丸の内にある大膳家の中屋敷跡と上屋敷跡で発掘調査が行われた。 |
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【投稿日】2026/03/07 19:39:15 【投稿者】匿名さん |
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愛知を奈良時代に開墾して地名をつけたのが聖徳太子末裔の田中王の孫であり、天武天皇の曾孫である田中多太麻呂(東海道節度副使)です。賀茂郡の小字が松平で、田中氏の子孫が賀茂や加茂や松平を名乗っています。
天武天皇の別名が浄御(み)原天皇。御原を三原というように三とも書きます。田中先祖星河女王や縁組み相手の先祖藤原河子に河がつきます。 田中(天武天皇子孫)と橘(天武天皇に長く仕えた女官が橘姓を賜った)の縁組みの子孫の橘真都賀(まつが)が藤原是公へ嫁ぎ吉子が生まれ桓武天皇に嫁ぎ伊予親王誕生。 田中多太麻呂の娘吉備(中臣豊子襲名)も桓武天皇へ嫁ぎ中臣王(平高望の祖父)を生み、伊予親王の侍従に。 田中の孫継子(豊子の姪)が平城天皇へ嫁ぎ生まれた内親王を伊予親王へ嫁がせました。田中の娘と婿藤原乙叡との娘平子を桓武天皇に嫁がせ生まれた伊都内親王は平城天皇の阿保親王に嫁ぎました。 継子が皇太子候補を産み、側室ライバルの藤原薬子から冤罪に巻き込まれ、伊予親王と吉子、中臣王、乙叡、豊子、継子の父豊国、中臣王の弟恒望(清原令望の祖父)も亡くなりました。 中臣王の孫の平高望がこの冤罪のしがらみで理不尽な待遇をされ悔しさから桓武平氏を興し、茂世王(藤原河子の子孫)の娘と結婚。 天武天皇の三、藤原河子と星河女王の河で三河、橘真都賀の賀と乙叡の先祖加須利王と高望の嫁父の茂世王の茂の組み合わせで賀茂や加茂となり、田中の先祖木氏と藤原是公の公の字を組み合わせると松、田中の先祖孝昭天皇の別名が観松彦~~で松がつき、橘真都賀(まつが)の『まつ』でもあり。乙叡の先祖真平王と乙叡の娘平子と継子の夫の平城天皇と桓武平氏にはみな共通の平がつくので合わせて松平です。ちなみに田中氏の平城時代の菩提寺は平松にありました。逆バージョンもあります。 日本の地名に松竹梅を使ったのは田中氏です。田中の孫は嵯峨天皇に嫁ぎ、その子孫田中保子の娘が清和天皇に嫁ぎ清和源氏につながります。桓武平氏と清和源氏は田中子孫同士、仲良く縁組みした時代もありました。 田中の先祖新田部皇女から新田、田中先祖の聖徳太子と石川宿禰から徳川の地名もつけてあり、松平を名乗ったのは田中関係者です。 |
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【投稿日】2025/06/04 07:20:53 【投稿者】小町さん |
| 私の代の、松平藩主。 |
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【投稿日】2025/04/24 21:32:17 【投稿者】かんちゃんさん |
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越智松平家の家祖清武は、甲府藩主徳川綱重(甲府徳川家)次男であり、江戸幕府6代将軍徳川家宣の弟に当たる。 甲府藩士越智喜清の養子として育てられ、養父の跡を継いで甲府藩士として実兄の藩主徳川綱豊(徳川家宣)に仕えていたが、宝永元年(1704年)綱豊が名を家宣と改め、5代将軍徳川綱吉養子になった際、旗本に登用。以後加増を繰り返され、宝永4年(1707年)には松平の姓を与えられ、上野国館林藩2万4000石の親藩大名に取り立てられる。 家宣が6代将軍となった後の宝永7年(1710年)に1万石加増、正徳2年(1712年)には家宣の遺言により2万石の加増があり都合5万4000石となった。 武元の代に陸奥国棚倉藩へ移封後、再度館林に戻される。斉厚の代の天保7年(1836年)に石見国浜田藩に移封。 幕末の浜田藩は第2次長州征伐に従軍したものの、長州藩軍に返り討ちにされ浜田城へ撤退、長州藩軍に追撃されると浜田城を自焼、同じく親藩の雲州松平家を頼って松江藩へ逃れ、浜田は長州軍の占領下に置かれたため帰還不可能になり、慶応3年(1867年)には浜田藩の飛地領だった美作国鶴田に入り、ここに陣屋を設置、飛地(約8000石)に加えて、15代将軍徳川慶喜より他の地から2万石が与えられて都合2万7800石の鶴田藩を立藩するも、幕府が崩壊。 鳥羽・伏見の戦いで再び敗北したが、家老尾関当遵の切腹で鶴田藩存続は許され、版籍奉還により武聡は鶴田藩知事を務めた。息子の松平武修が子爵を叙される。 |
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【投稿日】2025/02/10 00:03:29 【投稿者】匿名さん |
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田中氏の先祖の蘇我氏は百済の木氏の娘と縁組みしています。田中氏が橘氏と縁組みして娘の橘真都我(まつが)を藤原是公に嫁がせました。
木氏の木と是公の公を組み合わせた字が松で、真都我のマツでもあります。そのため田中氏は地名に松田、松川、松井、松本など松を多用しました。平は田中の娘が桓武天皇に嫁ぎ桓武平氏が子孫にいることや田中氏は百済王氏と縁組みし、百済王氏の先祖に真平王がいるため平の字も地名に多用しています。桓武平氏や徳川など清和源氏の先祖にも百済王氏がいます。 |
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【投稿日】2025/01/30 12:48:42 【投稿者】小町さん |
| 松井松平家は、三河国幡豆郡発祥の三河松平氏が、家康に仕えた功より松平姓を許されたことにより松井忠次が松平康親を称したことにはじまり、嫡子松平康重は父の遺志を継ぎ、北条氏降伏後天正18年(1590年)、家康関東移封に伴って武蔵国私市藩2万石に封じられ、常陸笠間藩3万石に転じるなど有力譜代大名として知られたが、以後この系統は各地を転々として丹波国篠山藩、和泉国岸和田藩、石見国浜田藩等幕末までに十余度も支配地が替わった。12代康英の時に武蔵川越藩にて維新を迎え、その子康義は子爵を叙され、松井姓に復した。 |
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【投稿日】2024/04/21 12:36:12 【投稿者】匿名さん |
| 清和源氏(常陸源氏)佐竹氏の分家山入佐竹家(山入氏)はさらに二次的庶子家を分流させた【小野田氏】【国安氏】【高柿氏】【松平氏】などである。 |
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【投稿日】2023/06/28 14:47:07 【投稿者】テッシーさん |
| 【松平氏】は、清和源氏義重(新田義重)流。松平親氏の子泰親が松平氏、広親が酒井氏となり松平家康の時、徳川氏となる。よって松平氏、酒井氏、徳川氏は同族。 |
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【投稿日】2022/08/19 22:53:48 【投稿者】てっちゃんさん |
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