白石

【読み】しらいし,しろいし,はくいし,いらいし,はくせき
【ローマ字】
【全国順位】 220位
【全国人数】 およそ96,100人


由来解説

①現宮城県である磐城刈田白石村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。
②ほか白石公、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)。
越智氏(物部氏の子孫)。
など様々な流派がある。

「石」は石や岩、硬い地盤を表す。
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最終更新:2026/04/18 09:58:38  最終更新者:匿名


白石さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
福岡県 およそ13,700人
東京都 およそ10,200人
愛媛県 およそ9,000人
埼玉県 およそ8,800人
神奈川県 およそ5,600人
市区町村人数
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愛媛県今治市 およそ2,500人
愛媛県新居浜市 およそ2,000人
熊本県熊本市 およそ1,700人
福岡県北九州市八幡西区 およそ1,200人

白石さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
愛媛県 0.68709%
福岡県 0.27288%
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市区町村比率
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熊本県阿蘇郡高森町 2.149%
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福岡県田川郡添田町 2.122%
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白石さん有名人ランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
白石 春樹 1912年 1月 2日 政治家 元愛媛県知事
白石 冬美 1936年 10月 14日 芸能人 声優、本名:白石芙美子 2019年没
白石 正一郎 1812年 4月 18日 歴史 幕末の商人、志士、清末藩御用商人
白石 彩妃 2000年 1月 13日 芸能人 アイドル、役者・俳優
白石 隆 1950年 2月 22日 研究者 国際政治学者
白石 賢司 研究者
白石 まるみ 1962年 11月 27日 芸能人 俳優・ラジオパーソナリティ
白石 麻衣 1992年 8月 20日 芸能人 元乃木坂46 モデル
白石 聖 1998年 8月 10日 芸能人 俳優
白石 晴香 1995年 4月 8日 芸能人 声優
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白石さん みんなの名字の由来
常陸国久慈郡白石(現在の常陸太田市岩手町)を本拠とした、本姓源氏、常陸守護佐竹氏の傍流にあたる白石氏がある。

戦国時代、佐竹宗家と常陸守護の座を巡り100年近く争った山入氏の系統とされる。

また、『佐竹白石系図』によれば佐竹氏四代佐竹義重の子 義清に子がないため、七郎祐義に相続させたとあり、その子・治部少輔源忠が白石氏を名乗ると記録している。

源忠は佐竹彦二郎義行が伊達大膳大夫政宗を討伐する際、代官として3年間、白石の地に在城し、白石と号するようになったという。

家紋は亀甲に桔梗、丸に竹笹に雀。

系譜 山入師義―与義(與義)―祐義―源忠(白石)
【投稿日】2026/05/23 01:20:13
【投稿者】匿名さん
陸奥国刈田郡の白石氏(登米伊達家)は、家譜によれば、家祖・刈田経元は藤原経清の子で、奥州藤原氏初代・藤原清衡の同母兄弟であるとしている。

経元は後三年の役を清衡と共に戦い、戦後源義家から刈田・伊具の両郡を与えられ、刈田郡白石に土着して刈田氏を称したとする。

対し、太田亮は『姓氏家系大辞典』において、白石氏の出自は遠田郡の白石連ではないかと推測している。

経元の玄孫である第5代目当主の刈田秀信は、文治5年(1189年)に源頼朝に従い、世代的に族父にあたる藤原泰衡討伐に従軍したが、戦死を遂げた(奥州合戦)。

刈田氏が白石氏に改称するのは、秀信の弟である第6代当主・秀長からであるが、孫・長俊には跡取りがおらず、南隣の伊達郡を治める伊達政依の子・宗弘を養子に迎える。

以後白石氏の名跡は現代に至るまで伊達氏の血統により存続していくことになる。

ただしこの時点でまだ白石氏は独立性を失っておらず、白石城を本拠として同地に支配を及ぼしていた。

白石氏が完全に伊達氏傘下へと組み込まれるのは、戦国時代、伊達稙宗が当主となった以降のことである。

天正14年(1586年)、第20代当主・宗実は、伊達政宗より安達郡宮森城への所領替えを命じられ、長きにわたって根拠地としてきた白石の地を離れることとなった。

この時、白石城は政宗側近の屋代景頼に与えられ、以後白石氏が旧領に復帰することはなかった。

天正19年(1591年)、葛西大崎一揆鎮圧後、政宗が岩出山城へと転封された際、安達郡が伊達氏から没収されたため、宗実は新たに胆沢郡水沢城を与えられる。

宗実は慶長4年(1599年)に死去、男子なく、娘婿の梁川宗直(稙宗の子・梁川宗清の長男)が白石氏を継ぐことになった。

宗直は翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に、政宗の命を受け旧領復帰を狙っていた和賀忠親を支援し、同じ東軍方の南部利直領へと侵攻した(岩崎一揆)が、企ては失敗した上、南部氏側の告発により徳川家康に露見、一件は全て宗直の独断で行われたこととされ、宗直は水沢城から登米郡寺池城(登米要害)へと移された。以後、白石氏は幕末に至るまで寺池一帯を所領とした。

元和2年(1616年)7月、宗直は大坂の陣における軍功あり、一門に列せられて伊達姓の名乗りを許される(登米伊達家)。しかし寛永6年(1629年)、宗直は政宗が佐沼城主津田景康と間の境争論において不利な裁定を下したことに憤り、参勤を怠るなどし、仙台への出頭を命じられたが、査問を前にして死亡した。

このため宗直の嫡男・宗貞は、翌年に登米領の相続を許されたものの、伊達姓を没収されて家格を一家へと落とされた。寛永17年(1640年)、第2代藩主伊達忠宗は男子のいなかった宗貞に対して、白石氏に伊達姓を再下賜し一門へ復帰させる代わりに、自身の四男・五郎吉を婿養子に迎えてただちに家督を譲るよう命じ、10年ぶりに登米伊達家の名が復活した。

一方で隠居した宗貞には、改めて一家の家格と遠田郡米岡(現登米市米山町西野)に隠居領3000石が与えられたが(米岡白石家)、この家は寛文2年(1662年)に3代で無嗣断絶となった。


幕末維新期、登米伊達家の当主は邦教だが、明治2年5月に死去、基寧が相続。

明治17年(1884年)、華族が五爵制になった際に定められた『叙爵内規』の前の案である『爵位発行順序』所収の『華族令』案の内規(明治11年・12年ごろ作成)や、『授爵規則』(明治12年以降16年ごろ作成)では旧万石以上陪臣家が男爵に含まれており、登米伊達家も男爵候補に挙げられているが、最終的な『叙爵内規』では旧万石以上陪臣は授爵対象外となったため登米伊達家は士族のままだった。

明治15年・16年ごろ作成と思われる『三条家文書』所収『旧藩壱万石以上家臣家産・職業・貧富取調書』は、基寧について、旧禄高2万1000石、所有財産は空欄、職業は東京留学、貧富景況は可と記している。

『授爵録』(明治三十一年)によれば、明治26年5月19日付けで宮城県知事船越衛より、内閣総理大臣伊藤博文宛てに登米伊達家の授爵が請願されている。登米伊達家の前当主邦教は、本来会津征討の勅命を奉じて先鋒として出陣したが、惜しくも藩論の転向で果たせずに仙台に帰る羽目になり、その後幾ばくもなく病に倒れたので、一時仙台藩が道を誤るのを止められなかったが、恭順後には藩の混乱の中、辛酸を嘗めながらも家臣たちに対して朝旨に恭順せよと鎮撫した功績があることなどを挙げ、登米伊達家に華族への授爵があるよう請願。

請願書一式は同月22日に内閣より宮内省に回付されているが、そもそも詮議に付されなかったのか、あるいは詮議されたが不許可になったのかは不明だが、授爵はなかった。

ついで明治27年3月1日付けで船越の後任の宮城県知事勝間田稔が伊藤総理に登米伊達家の授爵を再度請願。内容は前回とほぼ同趣旨で明治天皇の銀婚式に合わせたものだったが、この時も実現しなかった。

基寧は明治29年5月に死去。息子の宗充が相続、彼も華族授爵運動を継続した。

『授爵録』(明治三十一年)所収の明治31年2月10日付け宮内省当局側審査書類「華族班列ノ請願及詮議件伺」によれば、正六位の細川忠穀(細川内膳家)、伊達基寧(この2年前に死去しているので宗充の誤りと思われる)、従七位の浅野忠(三原浅野家)、種子島守時(種子島家)、渡辺半蔵(尾張渡辺家)の計5名について、華族に列するかの詮議が行われているが、登米伊達家の維新以来の勲功は録に値するものがないとして選に漏れた。

ただ旧万石以上陪臣家として継続審査されていたらしく、『授爵録』(明治三十三ノ一年)所収の明治33年5月5日付け宮内省当局側審査書類のなかでも登米伊達家は、他の旧万石以上陪臣家とともに男爵位の授爵を検討されている。

しかし同家は「旧禄高壱万石以上と唱うるも大蔵省明治四年辛未禄高帳記載の高と符合せざるもの又は禄高帳に現米を記載し旧禄高の記載なきに因り調査中のもの」12家の中に分類されたために、この時も選に漏れた。また石川小膳、留守景福、茂庭敬元、亘理胤正と同様に表高は2万2000石ながら「現石五十八石五斗」と書かれている。

『登米町誌』第四巻によれば、宗充は白石家を再興したため、弟の充邦が登米伊達家を相続したという記述がみられるが、充邦の代まで華族編列請願運動をやっていたかは不明。
【投稿日】2026/05/23 01:19:19
【投稿者】匿名さん
読みはシライシです。家の祖先は埼玉県の三郷市と以前に聞いた事があります。
【投稿日】2025/11/28 18:00:43
【投稿者】ぱんださん
聖徳太子一族で天武天皇の子孫である田中氏が開墾地につけた地名で子孫や家臣などが名乗っています。 田中は鎮守将軍として東北も開墾し宮城にも白石の地名をつけています。 語源は田中の先祖手白香皇女の白と蘇我石川宿禰や蘇我石寸名や石秋王の石からです。
【投稿日】2025/07/04 06:36:10
【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん
[はくいし]と読む人もいる
最も多い読み方は[しらいし]
確認できる読み方は他に[しろいし、いらいし]
鹿児島県では帰化姓としても記録がある。
【投稿日】2020/04/17 18:45:59
【投稿者】つーさん
茨城県の北部にある金砂郷村(現在は常陸大宮市)に白石姓が残っています。家紋は佐竹扇、おそらくは佐竹氏の流れを組む武家がもととなっていると思います。近くに白石城があった、という話も聞いています。 戦前まで広大な田畑を持っていたことから、庄屋的な地方豪族に収まっていたのかもしれません。 読み方はシライシです。 ちなみに「シロイシ」との呼び方をされている白石さんはまだ会ったことがないのですが、いらっしゃるものでしょうか。
【投稿日】2020/04/15 15:06:12
【投稿者】takaさん
愛媛県松山市、今治市、新居浜市に特に多い。

伊予国の豪族・河野氏流の白石氏がいる。
【投稿日】2020/01/07 16:01:27
【投稿者】ちば子さん
先祖は新潟に逃げ落ちた平家落人の一派です。名前の由来は裏山に白い石があったので、齊藤から白石に変わったと聞いています。
【投稿日】2017/09/06 21:00:46
【投稿者】ごまさん
私の曾祖父は明治時代に高知から東京に出てきました。南国市にある琴平神社の住職の家系だったところ、曾祖父はその仕事を別の家に任せて上京したそうです。私が以前その神社を訪問したときは、代々の白石宮司の墓が残っていましたが、10数年前に合祀しています。
【投稿日】2017/07/19 16:30:08
【投稿者】dojintanさん
読みはシライシです❗名字の由来とか今まで考えてもなかったので正直全くわかりませんのでよろしくお願いいたします❗ただ四国の高知に多いとか私が幼い時に聞いた事がありますけど定かではありませんし時代も半世紀前ですから!!
【投稿日】2017/04/02 01:30:39
【投稿者】しらたかさん
シライシと言うのは四国の高知に多いと聞いた事がありますけど由来とか情報がありませんのでよろしくお願いいたします❗
【投稿日】2017/03/11 10:00:25
【投稿者】シライシさん
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白石さん みんなの家紋のはなし

【都道府県】宮城県

刀の小柄に彫られた小さな物です。戦争で焼けたため損傷しています。 鳥の羽の中に何が描かれているのか分かりません。他の類似事例や解明出来れば助かります。 定紋は喰合い対い鶴に若松です。 よろしくお願いいたします。

【投稿日】2023/05/01 21:36:16 【投稿者】またえもんさん

 

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