松平
【読み】まつだいら,まつひら,まつたいら,まつへい,しょうへい
【全国順位】
1,874位
【全国人数】
およそ8,100人
由来解説
松平さんの多い地域 TOP5
都道府県 | 人数 |
---|---|
東京都 | およそ1,200人 |
北海道 | およそ800人 |
神奈川県 | およそ790人 |
愛知県 | およそ550人 |
大阪府 | およそ530人 |
市区町村 | 人数 |
---|---|
石川県金沢市 | およそ170人 |
岩手県奥州市 | およそ110人 |
愛知県瀬戸市 | およそ100人 |
富山県黒部市 | およそ100人 |
愛媛県南宇和郡愛南町 | およそ100人 |
松平さんの比率が多い地域 TOP5
都道府県 | 比率 |
---|---|
富山県 | 0.0334% |
石川県 | 0.02894% |
和歌山県 | 0.02111% |
愛媛県 | 0.01884% |
岩手県 | 0.01734% |
市区町村 | 比率 |
---|---|
北海道雨竜郡雨竜町 | 1.484% |
北海道古宇郡神恵内村 | 0.518% |
愛媛県南宇和郡愛南町 | 0.456% |
北海道沙流郡日高町 | 0.41% |
北海道上川郡鷹栖町 | 0.321% |
松平さん有名人ランキング TOP10
名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
---|---|---|---|
松平 乗秩 | 1839年 6月 23日 | 歴史 | 三河西尾藩5代藩主、藩知事、大給松平宗家15代、大給松平乗寛四男 |
松平 信敏 | 1851年 6月 22日 | 歴史 | 滝脇信敏、駿河小島藩11代藩主、上総桜井藩主 |
松平 直恒 | 1762年 6月 22日 | 歴史 | 武蔵川越藩2代藩主、直基系越前結城松平家6代 |
松平 正久 | 1659年 6月 26日 | 歴史 | 相模玉縄藩3代、上総大多喜藩初代、大河内松平宗家3代 |
松平 忠禎 | 1869年 6月 25日 | 歴史 | 陸軍軍人(歩兵少尉)、貴族院議員、子爵小幡奥平松平家2代 |
松平 直敬 | 1870年 6月 29日 | 政治家 | 貴族院議員、子爵母里松平家2代 |
松平 斉韶 | 1803年 6月 23日 | 歴史 | 播磨明石藩7代藩主、直良系越前明石松平家8代 |
松平 宣維 | 1698年 6月 25日 | 歴史 | 出雲松江藩5代藩主、雲州松平家5代、直政系越前松平宗家5代 |
松平 志穂 | 1995年 6月 28日 | スポーツ選手 | 卓球選手 |
松平 輝充 | 1822年 5月 31日 | 歴史 | 江戸後期の上野高崎藩主、高崎藩大河内松平家9代 |
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松平さん みんなの名字の由来 |
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愛知を奈良時代に開墾して地名をつけたのが聖徳太子末裔の田中王の孫であり、天武天皇の曾孫である田中多太麻呂(東海道節度副使)です。賀茂郡の小字が松平で、田中氏の子孫が賀茂や加茂や松平を名乗っています。
天武天皇の別名が浄御(み)原天皇。御原を三原というように三とも書きます。田中先祖星河女王や縁組み相手の先祖藤原河子に河がつきます。 田中(天武天皇子孫)と橘(天武天皇に長く仕えた女官が橘姓を賜った)の縁組みの子孫の橘真都賀(まつが)が藤原是公へ嫁ぎ吉子が生まれ桓武天皇に嫁ぎ伊予親王誕生。 田中多太麻呂の娘吉備(中臣豊子襲名)も桓武天皇へ嫁ぎ中臣王(平高望の祖父)を生み、伊予親王の侍従に。 田中の孫継子(豊子の姪)が平城天皇へ嫁ぎ生まれた内親王を伊予親王へ嫁がせました。田中の娘と婿藤原乙叡との娘平子を桓武天皇に嫁がせ生まれた伊都内親王は平城天皇の阿保親王に嫁ぎました。 継子が皇太子候補を産み、側室ライバルの藤原薬子から冤罪に巻き込まれ、伊予親王と吉子、中臣王、乙叡、豊子、継子の父豊国、中臣王の弟恒望(清原令望の祖父)も亡くなりました。 中臣王の孫の平高望がこの冤罪のしがらみで理不尽な待遇をされ悔しさから桓武平氏を興し、茂世王(藤原河子の子孫)の娘と結婚。 天武天皇の三、藤原河子と星河女王の河で三河、橘真都賀の賀と乙叡の先祖加須利王と高望の嫁父の茂世王の茂の組み合わせで賀茂や加茂となり、田中の先祖木氏と藤原是公の公の字を組み合わせると松、田中の先祖孝昭天皇の別名が観松彦~~で松がつき、橘真都賀(まつが)の『まつ』でもあり。乙叡の先祖真平王と乙叡の娘平子と継子の夫の平城天皇と桓武平氏にはみな共通の平がつくので合わせて松平です。ちなみに田中氏の平城時代の菩提寺は平松にありました。逆バージョンもあります。 日本の地名に松竹梅を使ったのは田中氏です。田中の孫は嵯峨天皇に嫁ぎ、その子孫田中保子の娘が清和天皇に嫁ぎ清和源氏につながります。桓武平氏と清和源氏は田中子孫同士、仲良く縁組みした時代もありました。 田中の先祖新田部皇女から新田、田中先祖の聖徳太子と石川宿禰から徳川の地名もつけてあり、松平を名乗ったのは田中関係者です。 |
【投稿日】2025/06/04 07:20:53 【投稿者】小町さん |
私の代の、松平藩主。 |
【投稿日】2025/04/24 21:32:17 【投稿者】かんちゃんさん |
越智松平家の家祖清武は、甲府藩主徳川綱重(甲府徳川家)次男であり、江戸幕府6代将軍徳川家宣の弟に当たる。 甲府藩士越智喜清の養子として育てられ、養父の跡を継いで甲府藩士として実兄の藩主徳川綱豊(徳川家宣)に仕えていたが、宝永元年(1704年)綱豊が名を家宣と改め、5代将軍徳川綱吉養子になった際、旗本に登用。以後加増を繰り返され、宝永4年(1707年)には松平の姓を与えられ、上野国館林藩2万4000石の親藩大名に取り立てられる。 家宣が6代将軍となった後の宝永7年(1710年)に1万石加増、正徳2年(1712年)には家宣の遺言により2万石の加増があり都合5万4000石となった。 武元の代に陸奥国棚倉藩へ移封後、再度館林に戻される。斉厚の代の天保7年(1836年)に石見国浜田藩に移封。 幕末の浜田藩は第2次長州征伐に従軍したものの、長州藩軍に返り討ちにされ浜田城へ撤退、長州藩軍に追撃されると浜田城を自焼、同じく親藩の雲州松平家を頼って松江藩へ逃れ、浜田は長州軍の占領下に置かれたため帰還不可能になり、慶応3年(1867年)には浜田藩の飛地領だった美作国鶴田に入り、ここに陣屋を設置、飛地(約8000石)に加えて、15代将軍徳川慶喜より他の地から2万石が与えられて都合2万7800石の鶴田藩を立藩するも、幕府が崩壊。 鳥羽・伏見の戦いで再び敗北したが、家老尾関当遵の切腹で鶴田藩存続は許され、版籍奉還により武聡は鶴田藩知事を務めた。息子の松平武修が子爵を叙される。 |
【投稿日】2025/02/10 00:03:29 【投稿者】匿名さん |
田中氏の先祖の蘇我氏は百済の木氏の娘と縁組みしています。田中氏が橘氏と縁組みして娘の橘真都我(まつが)を藤原是公に嫁がせました。
木氏の木と是公の公を組み合わせた字が松で、真都我のマツでもあります。そのため田中氏は地名に松田、松川、松井、松本など松を多用しました。平は田中の娘が桓武天皇に嫁ぎ桓武平氏が子孫にいることや田中氏は百済王氏と縁組みし、百済王氏の先祖に真平王がいるため平の字も地名に多用しています。桓武平氏や徳川など清和源氏の先祖にも百済王氏がいます。 |
【投稿日】2025/01/30 12:48:42 【投稿者】小町さん |
松井松平家は、三河国幡豆郡発祥の三河松平氏が、家康に仕えた功より松平姓を許されたことにより松井忠次が松平康親を称したことにはじまり、嫡子松平康重は父の遺志を継ぎ、北条氏降伏後天正18年(1590年)、家康関東移封に伴って武蔵国私市藩2万石に封じられ、常陸笠間藩3万石に転じるなど有力譜代大名として知られたが、以後この系統は各地を転々として丹波国篠山藩、和泉国岸和田藩、石見国浜田藩等幕末までに十余度も支配地が替わった。12代康英の時に武蔵川越藩にて維新を迎え、その子康義は子爵を叙され、松井姓に復した。 |
【投稿日】2024/04/21 12:36:12 【投稿者】匿名さん |
清和源氏(常陸源氏)佐竹氏の分家山入佐竹家(山入氏)はさらに二次的庶子家を分流させた【小野田氏】【国安氏】【高柿氏】【松平氏】などである。 |
【投稿日】2023/06/28 14:47:07 【投稿者】テッシーさん |
【松平氏】は、清和源氏義重(新田義重)流。松平親氏の子泰親が松平氏、広親が酒井氏となり松平家康の時、徳川氏となる。よって松平氏、酒井氏、徳川氏は同族。 |
【投稿日】2022/08/19 22:53:48 【投稿者】てっちゃんさん |
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