岡部
【読み】おかべ
【全国順位】
256位
【全国人数】
およそ83,300人
由来解説
最終更新:2026/04/01 11:04:02 最終更新者:匿名
【読み】おかべ
【全国順位】
256位
【全国人数】
およそ83,300人
最終更新:2026/04/01 11:04:02 最終更新者:匿名
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 東京都 | およそ14,500人 |
| 神奈川県 | およそ7,000人 |
| 埼玉県 | およそ6,800人 |
| 福岡県 | およそ4,800人 |
| 大阪府 | およそ4,000人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 東京都八王子市 | およそ1,400人 |
| 岡山県倉敷市 | およそ1,200人 |
| 東京都あきる野市 | およそ920人 |
| 群馬県太田市 | およそ870人 |
| 福島県郡山市 | およそ840人 |
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 福島県 | 0.17382% |
| 山梨県 | 0.1631% |
| 群馬県 | 0.15437% |
| 山形県 | 0.12267% |
| 大分県 | 0.11431% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 山梨県北都留郡丹波山村 | 24.436% |
| 東京都西多摩郡檜原村 | 9.667% |
| 東京都西多摩郡奥多摩町 | 6.934% |
| 福島県石川郡古殿町 | 6.707% |
| 山梨県北都留郡小菅村 | 3.258% |
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 岡部 長修 | 1746年 5月 19日 | 歴史 | 和泉岸和田藩7代藩主、岸和田藩岡部家8代、岡部長著四男 |
| 岡部 哲也 | 1965年 5月 15日 | スポーツ選手 | |
| 岡部 広子 | 1980年 6月 27日 | 芸能人 | 優香 |
| 岡部 長発 | 1834年 10月 23日 | 歴史 | 和泉岸和田藩11代藩主、岸和田藩岡部家12代、岡部長慎6男 |
| 岡部 麟 | 1996年 11月 7日 | 芸能人 |
|
| 岡部 幸雄 | 1948年 10月 31日 | スポーツ選手 | 元騎手 |
| 岡部 長周 | 1786年 10月 22日 | 歴史 | 江戸後期の和泉岸和田藩世嗣、岡部長備長男 |
| 岡部 長景 | 1884年 8月 28日 | 政治家 | 外交官、文部大臣、貴族院議員、子爵岸和田岡部家2代 |
| 岡部 主貞 | 歴史 | 福井藩家老高知席岡部豊後家6代 | |
| 岡部 康綱 | 歴史 | 駿河岡部氏5代 |
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| 岡部さん みんなの名字の由来 |
|---|
|
岡部氏(おかべし)は、藤原南家入江氏庶流と伝わる、武家・華族を出した日本の氏族。庶流の一家より、江戸時代に和泉国岸和田藩主、維新後に華族の子爵家となった家を出している。 藤原南家の祖藤原武智麻呂の四男・参議乙麻呂の末裔、工藤氏庶流入江氏の末裔と伝わる。『尊卑分脈』によれば「工藤為憲 - 時理 - 時信 - 維清」と続き、維清が入江氏と称し、その子維綱を経て、清綱の代に駿河国益頭郡岡部郷(現在の静岡県藤枝市岡部町)に居住して、岡部権守と称するようになり、その子泰綱が岡部氏を称するようになった。『吾妻鏡』 や『平家物語』に泰綱の名が見える。 泰綱の末裔という戦国時代の岡部信綱は、出家して常慶と号し、今川氏親に重臣として仕えたが、氏親の勘気を蒙って蟄居。 その子正綱は初め今川義元に仕え、永禄11年(1568年)に武田信玄が駿河侵攻を行った後、清水に住んで武田氏に仕えるようになった。 正綱は今川義元の人質時代の徳川家康と親しかった関係で、天正10年(1582年)から徳川家に仕え、駿河・甲斐両国に7060貫文を与えられた。 天正12年(1584年)に家督を継いだ長盛は、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に伴い、上総・下総両国1万2000石に移封され、下総山崎に住した。 ただし長盛以前の文書はほとんど残されておらず、かつ一部に偽文書の可能性があるものが含まれていること、他の文書から正綱の嫡男・家督継承者であることが明らかである岡部康綱に関して、全く所伝がないこと、長盛が代々の通字である「綱」を継いでいないことから、正綱・康綱父子と長盛の関係について、同族他流からの家名継承を含めて今後の検討課題である。 また岸和田藩主家・華族子爵家となる長盛の系統以外に、江戸時代まで武家として残った岡部一族として以下の4つの系統があり、長盛の系統と合わせて「岡部五家」と呼ばれる。 武田氏滅亡後、穴山信君に仕えていた岡部次郎兵衛(能登)某が、家康の命令で武田信吉に仕え、息子・重綱の代に水戸徳川家家臣に編入された系統。 岡部元信の息子・五郎兵衛真堯を祖とし、その子・五郎左衛門通綱が、親族の土屋利直を頼って久留里藩に仕えたが、利直の子・忠胤が相馬氏の養子となった際に、忠胤付の家臣として相馬中村藩に移った系統。 土屋昌吉の子で岡部元信の養子となった元昌が結城秀康に仕え、子孫は福井藩家臣になった系統。 この家が代々五郎兵衛を称し、元信の嫡流として遇されていた。 岡部元信五男とされる弥左衛門某の子孫を名乗る土佐藩家臣の系統。 この4家は、家伝の文書の中に「左京進」・「五郎兵衛」・「丹波守」という共通の人物に関するものを含んでおり、左京進は岡部親綱及びその父親(系図が正しければ仲綱)、五郎兵衛(尉)及び丹波守は岡部元信に比定されている。また、「大和守」と「和泉守」の官途を持つ実名不明の父子の文書も伝えられ、2に伝わる別の文書から、この系統の祖である次郎兵衛は大和守の子かつ和泉守の弟で、武田信玄の駿河侵攻の時に父や兄が今川氏真に従って最終的に後北条氏には仕えたのに対し、初期の段階で武田方についたことも判明している。 官途名より大和守父子が本来の嫡流で、天正元年(1573年)以前に、後北条氏の下にいた氏真の下を辞去して、武田氏に仕えた元信が信玄あるいは勝頼から岡部氏惣領の地位を認められたと推測されている。 また現存する大和守父子の文書も、今川氏真に従って駿府を脱出した以降のものしか残されていないため、それ以前の文書は駿河侵攻で失われて、元信が武田傘下で岡部氏を再興することになった際、和泉守(大和守は永禄12年(1569年)に死去)から元信にそれ以降の文書が譲渡されたと考えられている。 今川氏・武田氏・後北条氏と岡部氏が仕えた主家が次々と滅亡したこともあって、一族も文書も離散してしまっており、本来の嫡流で後北条氏に仕えていた和泉守の子孫の動向は伝わっておらず、他にも家伝の文書とともに姿を消した岡部氏一門が存在したと考えられている。 親綱の父である左京進(系図が正しければ仲綱)の代に、大和守・和泉守(および次郎兵衛)父子の系統と親綱・元信父子の系統に分かれ、正綱もそこから遠く離れてはいないとする考察はあるものの、岸和田岡部家も含めて、その関係を正確に再現した家系図が作成できない状況となっている。 長盛は、関ケ原の合戦で東軍に属し、慶長14年(1609年)に丹波国内で3万2000石に加増されて亀山城に住し(丹波亀山藩)、元和7年(1621年)には5万石に加増されて丹波福知山藩に移封、寛永元年(1624年)に美濃国大垣藩に転封された。 長盛の長男宣勝の代にも、寛永10年(1633年)に播磨国龍野藩、寛永13年(1636年)に摂津国高槻藩と同じ石高での転封が繰り返された後、寛永17年(1640年)に1万石加増で和泉国日根・南両郡において6万石を領する和泉国岸和田藩主となった。 また長盛の次男与賢も徳川秀忠に仕えて、4500石の大身旗本に取り立てられた。 寛文元年(1661年)に行隆が岸和田藩を襲封した際に弟高成に5000石・豊明に2000石を分知、分家の旗本家にしたため、5万3000石に減り、以降はこの石高で廃藩置県まで岸和田に在封。 幕末に、嫡流の長職が幼少であることから、叔父の長寛が代わりに藩主となり、尊皇派と佐幕派に藩論が分裂して動揺していることが多かったが、慶応3年12月(1867年)に朝廷から諸侯に京都召集がかかると藩論を尊皇で統一、慶応4年1月(1868年)の鳥羽伏見の戦いでも朝廷軍側で参戦。 旧暦明治元年12月(1869年2月)に長寛が隠居、長職が数え15歳で最後の岸和田藩主となった。明治2年(1869年)の版籍奉還で華族に列するとともに藩知事に転じ、明治4年7月14日(1871年)の廃藩置県に伴う罷免まで知藩事を務めた。 版籍奉還の際に定められた家禄は3409石。 新暦1876年(明治9年)の金禄公債証書発行条例に基づき、家禄の代わりに支給された金禄公債の額は、10万9891円53銭5厘(華族受給者中64位)。 廃藩置県後、全国の知藩事は東京移住を命じられ、長職は東京府本所区柳原町に居を構えた(当時の家令は乾新)。 慶應義塾を経て、アメリカのエール大学やイギリスのケンブリッジ大学に留学。1886年(明治19年)より外務省に任官、その後外務次官・第2次桂内閣司法大臣・東京府知事・枢密顧問官などを歴任した。 その間、1884年(明治17年)の華族令施行に伴い、長職は旧・小藩知事として、子爵に叙された。 1925年(大正14年)12月27日に長職が没すると、長男長景が爵位と家督を相続。長景も外務省に入省、退官後は貴族院子爵議員に当選、東條内閣に文部大臣として入閣し、学徒動員・勤労動員などを指導したが、占領軍に戦犯容疑で逮捕された。 夫人の悦子は総理大臣を務めた加藤高明伯爵の長女。長景の代、岡部子爵家の邸宅は東京府東京市赤坂区丹後町にあった。 長景の長男長衡(1913年8月10日生)は陸軍技術少佐。その長男に長忠(1941年6月11日生)、その長男に長知(1975年8月29日生)がある。 |
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【投稿日】2026/05/20 15:29:45 【投稿者】匿名さん |
| 家紋は左三巴。江戸時代は代々宇都宮藩の典医の家系であったと明治生まれの亡祖父に聞きました。猪俣党岡部の関係か北関東に岡部は多いようですね。 |
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【投稿日】2020/07/27 19:36:57 【投稿者】ベッチさん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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| 順位 | 日別TOP10 | 月間TOP10 |
|---|---|---|
| 1 | 越雲 | 佐藤 |
| 2 | 竹前 | 井 |
| 3 | 佐藤 | 開發 |
| 4 | 田中 | 面手 |
| 5 | 小比類巻 | 田中 |
| 6 | 鈴木 | 竹前 |
| 7 | 京師 | 鈴木 |
| 8 | 開發 | 七五三掛 |
| 9 | 照喜名 | 高橋 |
| 10 | 林 | 四月一日 |
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| 3 | ブラジルやアメリカの日系二世のルーツ調べ |
| 1 |
|
郷田 |
| 2 |
|
川田 |
| 3 |
|
鈴木 |
| 4 |
|
鈴木 |
| 5 |
|
由良 |
| ■新着・更新 | ■情報求む |
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| 鈴木 | 佐井本 |
| 藤原 | 園出 |
| 要 | 鹿子島 |
| 城岡 | 勝連 |
| 古梅 | 満平 |
| 高居 | 殿地 |
| 八木 | 横隅 |
| 根本 | 翡翠 |
| 本毛 | 丼 |
| 末永 | 雲津穂積 |
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| 1 | 壹岐 碧 | 2010年 5月 21日 |
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| 2 | 開發 光 | 1989年 4月 21日 |
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| 3 | 梶栗 玄太郎 | 1937年 | その他 |
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| 5 | 井 拓磨 | 1993年 5月 27日 | 医学 |
| 6 | 七戸 家国 | 歴史 | |
| 7 | 幸野 善之 | 5月 21日 | 芸能人 |
| 8 | 小林 計一郎 | 1919年 5月 21日 | 研究者 |
| 9 | 安藤 令子 | 1911年 5月 21日 | 芸能人 |
| 10 | 松旭斎 天勝 | 1886年 5月 21日 | 芸能人 |
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1851年 | コロンビアで奴隷制が廃止。 |
| 1879年 | 太平洋戦争 (南米) :イキケの海戦が行われる。 |
| 1924年 | シカゴ大学の学生レオポルドとローブがユダヤ人実業家の息子を誘拐・殺害。 |
| 1927年 | チャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行に成功。 |
| 2009年 | 日本で裁判員制度開始。この日以降に起きた事件が対象となり、8月3日に初の裁判員裁判を実施。 |
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