脇坂
【読み】わきさか,わきざか,わきもと,わきさき,わかさか
【全国順位】
1,418位
【全国人数】
およそ11,400人
由来解説
脇坂さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 滋賀県 | およそ1,100人 |
| 大阪府 | およそ990人 |
| 北海道 | およそ980人 |
| 東京都 | およそ840人 |
| 広島県 | およそ730人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 滋賀県長浜市 | およそ720人 |
| 北海道旭川市 | およそ150人 |
| 広島県呉市 | およそ140人 |
| 兵庫県姫路市 | およそ130人 |
| 滋賀県彦根市 | およそ120人 |
脇坂さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 滋賀県 | 0.08189% |
| 富山県 | 0.03081% |
| 広島県 | 0.02698% |
| 石川県 | 0.02303% |
| 徳島県 | 0.02255% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 長野県下伊那郡平谷村 | 7.32% |
| 島根県隠岐郡知夫村 | 1.606% |
| 長野県木曽郡王滝村 | 1.009% |
| 岐阜県大野郡白川村 | 0.767% |
| 滋賀県長浜市 | 0.623% |
脇坂さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 脇坂 安政 | 1633年 3月 28日 | 歴史 | 信濃飯田藩2代、播磨龍野藩初代藩主、龍野藩脇坂家3代 |
| 脇坂 次郎 | 1886年 3月 17日 | 歴史 | 陸軍軍人(少将) |
| 脇坂 崚平 | 1998年 12月 27日 | スポーツ選手 | サッカー選手 |
| 脇坂 安弘 | 1738年 3月 11日 | 歴史 | 播磨龍野藩5代藩主、龍野藩脇坂家7代 |
| 脇坂 安実 | 1745年 7月 2日 | 歴史 | 播磨龍野藩6代藩主、龍野藩脇坂家8代、脇坂安興次男 |
| 脇坂 安治 | 1554年 | 歴史 | 賤ヶ岳の七本槍、淡路洲本藩主、伊予大洲藩初代、龍野藩脇坂家初代 |
| 脇坂 安照 | 1658年 4月 22日 | 歴史 | 播磨龍野藩2代藩主、龍野藩脇坂家4代 |
| 脇坂 安親 | 1739年 1月 28日 | 歴史 | 播磨龍野藩7代藩主、龍野藩脇坂家9代、宮川堀田正陳四男 |
| 脇坂 左次兵衛 | 歴史 | 脇坂赤穂事件 | |
| 脇坂 安興 | 1717年 6月 19日 | 歴史 | 播磨龍野藩4代藩主、龍野藩脇坂家6代 |
※ランキングや人数、読み、解説などの名字データをご利用される場合は、「参考資料 名字由来net」「名字由来netより引用」「出典 名字由来net」などと記載、そしてURLへリンクしていただき、自由にご活用ください。
※引用元の記載なく無断での商用利用(ニュースサイト,Youtubeなどの動画,まとめサイトなど含みます)は利用規約に反するため、問い合わせ窓口にご連絡頂くか、又は「参考文献 名字由来net」のクレジット表記とURLリンクのご協力をよろしくお願いいたします。
【戦国武将・大名の家紋】
| 脇坂さん みんなの名字の由来 |
|---|
|
脇坂氏(わきざかし/わきさかし)は、武家・華族だった日本の氏族。祖脇坂安治は、豊臣秀吉に仕えて賤ケ岳七本槍の一人として名を挙げて大名へ出世した。 関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、小早川家とともに東軍への寝返り工作に応じて、大谷吉継(西軍)も予期したがその軍勢ではこの大軍を防げず、一日にして東軍勝利へ繋がった。 江戸時代にも播磨竜野藩主家として続き、維新後には子爵家に列す。 脇坂氏が史上に現れるのは脇坂安明の子・安治の代からであり、藤原姓を称していたものの、安明以前の系譜は明確ではない。 『寛永諸家系図伝』編集にあたっては、安明から系図を書き起こし「北南それとも知らずこの糸のゆかりばかりの末の藤原」という、和歌を添えたという逸話がある。 これは『寛政重修諸家譜』でも踏襲されている。家紋は輪違い、通字は「安」。 『野史』では、浅井秀政三男・生秀の孫・教政が、九条家の所領近江国浅井郡脇坂庄の下司となったのが脇坂氏の祖で、その5代後が安明であるという。 安治は織田・豊臣に歴仕し、賤ヶ岳の七本槍として名を揚げた。 その後淡路国洲本藩に3万石を与えられ、水軍大将となった。 関ヶ原の戦いでは当初西軍に属したが、家康から本領安堵を受けて小早川秀秋とともに東軍に寝返って大谷吉継隊を攻撃。これにより慶長9年(1609年)に伊予国大洲藩5万3,000石に加増転封となり、元和3年(1617年)には信濃国飯田藩5万5,000石(後に分知5万3,000石)へ移封された。 2代当主安元が老中堀田正盛から養嗣子・安政を迎えたことで、願譜代待遇が許される。 安政の代の寛文12年(1672年)に播磨国龍野藩5万3,000石(後に分知で5万1,089石)と移封、以後定着した。 4代当主脇坂安照は播磨赤穂藩浅野家の改易の折に赤穂城収城使を務めており、忠臣蔵で著名な人物である。 10代当主安董は寺社奉行や老中になっており、その子である安宅も京都所司代、寺社奉行、老中を務めた。 最後の龍野藩主脇坂安斐(安宅の養子、藤堂高猷の子)は、明治2年(1869年)に版籍奉還で知藩事に転じるとともに華族に列し、1871年(明治4年)の廃藩置県まで知藩事を務めた。明治17年(1884年)7月8日に旧小藩知事として子爵に列す。 3代子爵脇坂安之は龍野菊一醤油会社の重役を務めていた。 廃藩置県直後に華族は東京在住が義務付けられ、その後その義務が解除された後も華族の多くは東京で暮らし続けたが、脇坂家は兵庫県龍野で暮らした。東京在住でない珍しい華族だった。 |
|
【投稿日】2026/03/11 23:43:57 【投稿者】匿名さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
|---|
「みんなの名字の由来」に書きこむには、ログインが必要です。
|
脇坂さんと相性のいい座席を診断!
脇坂さんと気になるあの人の相性を診断!
個別に家系図を知りたい方はこちら
スマートフォン専用の検索はこちら
脇坂さんプレミアム会員とは
すでにプレミアム会員の方へ
| 脇坂さん みんなの家紋のはなし | |
|---|---|
まだ脇坂さんの「みんなの家紋のはなし」がありません。
|
|
※名字の順位・人数は2025年10月時点の政府発表統計および全国電話帳データを元にルーツ製作委員会が独自に算出したものです。
※名字由来netは政府発表統計や独自調査により得られたデータから、日々変化する日本人の名字の人数を日本で唯一算出しております。
※名字の推計人数は四捨五入して掲載しているため、各都道府県の合計人数と全国人数は一致しない場合があります。また、推計人数が少ない名字につきましては、一律「およそ10人」としています。
※名字の専門企業が算出している日本唯一の名字オリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。
※解説欄に「詳細不明」等と記載されている場合でも、「読み」や「有名人情報」が更新された際「新着・更新」名字欄に掲載されます。
※名字の情報を欲しい方は「情報求む」ボタンを押してください。「情報求む」欄には最新10件のみ表示されますので、定期的に確認いただき更新されることをお勧めします。
名字について詳しい情報をお持ちの方は、「名字の情報を送る」より名字の情報をお書きのうえ、送信ください。お送りいただいた情報はルーツ製作委員会にて精査し、名字の解説として掲載させていただくことがあります。
名字検索
最近検索された名字
鄒 江本 井戸 小柴 徳坂 大井 小払 吉元 御代田 遠茂谷 末清 地道 面坪 荒居 與安 崎出 岡木 杉吉 赤池 建徳 談山 辰間 茂倉 飯見 北條 笠嶌 明ケ谷 富下 長井 小笠 木舟 内桝 石硯 武城 形井 波志 槌市 宗兼 〆 瀬道 本日 朝枝 澁市 虹富 小笛 鑓野目 関邨 宿弥 嘉吉 小近 広満 藤田 本圓 京極 鞍 加木元 宮﨑 増永 龍王 廣川 越坂 桐野江 小栗栖 立澤 野ケ峰 宇室 上妻 知花 采睾 古谷 甲斐 森木田 郷井 面迫 中渓 手納 貝保 汐先 路川 桑辺 小槙 持尾 田束 夢路 志立 蔦 上茶谷 押埀 安田 新楽 波北 晝河 柳堂 徳泉 関山 木佐美 山科 七五三 筋間 永矢
家紋検索
当サイトは多くのユーザー様に広くご自分や身近な方の名字の由来を知って頂くことを目的としておりますので、「情報の流用や加工を目的とした不正なアクセス」「他の文献等の内容を無断転載する」「不正なIPアドレス」
「同一人物が他人を装い、いくつものアカウントを使用し、不正なアクセスや当サイトに混乱をきたすような行為」「他サイトなどで根拠のない誹謗中傷などが発見された場合」
など左記はごく一部ですが、利用者に混乱をきたすと判断された場合は、データ保護の観点により、アクセス禁止措置、更に迷惑行為と判断し、法的措置を取らせていただく場合がございますので、ご了承ください。
取材等につきましてはこちらからご連絡ください。
「連濁(れんだく)」について
花菱
左三つ巴
桔梗











全国/
珍しい名字について語りまし…
全国/
名字について情報がほしいで…
全国/
その他
