米倉
【読み】よねくら,こめくら
【ローマ字】
【全国順位】
963位
【全国人数】
およそ18,600人
由来解説
最終更新:2026/04/06 10:41:33 最終更新者:mori20
米倉さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 福岡県 | およそ2,100人 |
| 東京都 | およそ1,700人 |
| 千葉県 | およそ1,700人 |
| 神奈川県 | およそ1,300人 |
| 大阪府 | およそ1,200人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 鹿児島県鹿児島市 | およそ620人 |
| 佐賀県唐津市 | およそ390人 |
| 福岡県小郡市 | およそ370人 |
| 宮城県気仙沼市 | およそ320人 |
| 三重県津市 | およそ270人 |
米倉さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 佐賀県 | 0.08644% |
| 鹿児島県 | 0.05244% |
| 三重県 | 0.04541% |
| 長崎県 | 0.04266% |
| 福岡県 | 0.04102% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 千葉県長生郡睦沢町 | 2.449% |
| 三重県度会郡大紀町 | 1.765% |
| 千葉県長生郡長生村 | 1.442% |
| 福岡県小郡市 | 0.625% |
| 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 | 0.596% |
米倉さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 米倉 昌晴 | 1728年 5月 30日 | 歴史 | 武蔵金沢藩3代藩主、六浦藩米倉家6代、旗本米倉昌倫次男 |
| 米倉 斉加年 | 1934年 7月 10日 | 芸能人 | |
| 米倉 弘昌 | 1937年 3月 31日 | 経営者 | 経団連会長 |
| 米倉 修二 | 研究者 | 千葉大学准教授 | |
| 米倉 ますみ | 1961年 3月 30日 | 芸能人 | 浪曲家 |
| 米倉 丹後守 | 歴史 | 戦国〜安土桃山時代の武将、甲斐武田氏家臣 | |
| 米倉 恒貴 | 1988年 5月 17日 | スポーツ選手 | サッカー |
| 米倉 里矩 | 1733年 9月 13日 | 歴史 | 武蔵金沢藩2代藩主、六浦藩米倉家5代 |
| 米倉 昌賢 | 1759年 7月 21日 | 歴史 | 武蔵金沢藩4代藩主、六浦藩米倉家7代 |
| 米倉 昌由 | 1777年 12月 8日 | 歴史 | 武蔵金沢藩5代藩主、六浦藩米倉家8代、旗本米倉昌盈次男 |
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| 米倉さん みんなの名字の由来 |
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米倉氏(よねくらし)は、清和源氏・甲斐源氏の一族。平安時代後期に甲斐国八代郡小石和筋米倉村の地へ土着、米倉氏を称する。支族に石橋氏がある。 武田系図によれば、「奈胡十郎蔵人義行-義継-信継(米倉)」とある。奈胡義行は源清光(逸見清光)の子である。代々甲斐源氏の一族甘利氏に仕え、米倉の地から宮脇へ移住したという。 戦国期に米倉忠継は武川衆の隊長となり、『甲陽軍鑑』によれば重継(丹後守)は信濃侵攻において甘利氏の旗下で活躍、足軽大将になったという。重継は天正3年(1575年)の長篠の戦いにおいて戦死する。 武田氏の滅亡後は成瀬正一の庇護を受け、徳川家康に仕えた。 永時(清継)は徳川氏の関東入封に従い、大住郡(現秦野市)堀山下に2百石を与えられた(『寛政重修諸家譜』)。 『風土記稿』同村の条には「領主米倉氏屋敷跡」が記されている。 同地の蔵林寺は昌尹が先祖供養のため本堂庫裏を建立して中興した寺と伝え、初代から15代までの当主一族の墓石20基があり、昌純と昌尹が埋葬されている。 江戸時代前期には旗本だったが、昌尹の代の元禄9年(1696年)の加増で都合1万石となり譜代大名に取り立てられた。 昌明の代の元禄12年(1699年)に都合1万5000石に加増されたが、弟忠真への3000石の分知で1万2000石となり、享保7年(1722年)に武蔵国六浦(金沢)に陣屋を移した。 最後の藩主昌言は、明治2年(1869年)6月23日に版籍奉還で六浦藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県まで藩知事を務める。 明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生、米倉家も大名家として華族に列す。 明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事として、昌言が子爵に列せられた。 昭和12年(1937年)2月17日に女戸主となったことで失爵。 米倉政継の代までは「継」(つぐ)の字が、政継が昌純に改名して後は一時期を除き「昌」(まさ)の字が通字として用いられた。昌純の子・米倉昌尹の代からは近世大名として諸侯に列す。 |
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【投稿日】2026/05/30 03:21:22 【投稿者】匿名さん |
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奥州千葉氏一族の米倉氏は、奥州千葉氏を祖とし、葛西氏と縁組み、その後臣下となる。 去就は中世武士団の典型的な形態を垣間見ることができ、居住した地が薄衣城・米倉舘、現在岩手県一関市川崎町で、米倉清村(薄衣内匠亮) が米倉氏とも名乗る。 この清村の代に、南北朝の戦乱がこの地にも波及、主の葛西氏と共に南三陸の熊谷氏と交戦、熊谷氏・千葉氏を追い、気仙沼市本吉町にその勢力を扶植する。 米倉清村が嘉暦元年(1326年)津谷村に移り、清村の次男、米倉持村(玄蕃)が、本吉地域の津谷、大谷地域平磯、岩尻の三村を所領とし、建徳3年/文中元年/応安5年(1372年)に津谷村・獅子ガ舘(別名・津谷館)に居住する。 以降、本吉・米倉氏が発展、主の葛西氏の滅亡する天正18年(1590年)まで、約260年余この地域で、権勢を振るった。 代々通字に「持」もしくは葛西氏に関連して「清」の字を充ててきた。持村の子が本吉町北辺へ進出、岩尻・堀合舘・米倉氏の流れも出た。 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏滅亡の折、宮城県和渕の陣に米倉右近行友(本吉郡津谷)名が見え、蒲生氏郷の軍勢と戦っている。 主君葛西氏の滅亡後、帰農したが、後に仙台藩伊達氏に500石取りの平士として召抱えられる。 江戸の品川屋敷にも勤番していた記述があり、品川近習・米倉清太夫持信。 |
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【投稿日】2026/05/30 03:15:43 【投稿者】匿名さん |
| 【清和源氏七四○氏族系図】千葉琢穂編著/昭和60年11月20日発行/展望社によると、【米倉氏】【新羅三郎義光】『手嶋義光』流、新羅三郎義光の末孫信継は甲斐国(山梨県)巨摩郡武川筋の米倉に住し、米倉をもって家号とした。家紋、花菱、菱の実。 |
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【投稿日】2023/06/11 19:06:12 【投稿者】テッシーさん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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| 米倉さん みんなの家紋のはなし | |
|---|---|
![]() 花菱 |
【都道府県】山梨県 【新羅三郎義光】『手嶋義光』流
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| 【投稿日】2023/06/12 09:59:52 【投稿者】テッシーさん | |
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