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この伝言板は44484人が見ています

名字について情報がほしいです
【限定地域】なし(全国OK)
かつて実在した苗字
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:40:14   
今は実在が確認できないが過去には実在が確認されていた苗字を紹介しています。

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コメント一覧
No. 131
【104】「小日野〜こひの?」
正しい読み方不明。
明治新姓時に「大日野〜おおひの」に改姓したためなくなったとされる。
大阪城が落城した後に現長野県に移住して称したとされる。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/04/07 21:00:02

No. 130
【103】「勝軍木〜ぬるで?」
正しい読み方不明。
蒔絵師が松江藩に勝軍木蒔絵を献上し賜った姓である。
後に「勝木」に改姓したため、なくなったとされる。
江戸末期に雲州松江生まれの印籠蒔絵師に「勝軍木庵 光英〜ぬるであん みつひで」という人物がいた。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/04/07 20:56:35

No. 129
【読み方編】「山本寺〜さんぽんじ」
越後守護上杉氏の一族である上杉景貞が最初に山本寺を称したとされる。特に有名なのが、戦国時代から安土桃山時代に生きた武将である「山本寺定長〜さんぽんじ さだなが」であり、第二次川中島の戦いでは上杉謙信の家臣として従軍し、華やかな軍功を挙げている。
現在は茨城県日立市にごく少数ながら山本寺姓がみられる。読み方は「さんぼんじ」と「ほ」が半濁点ではなく濁点に変わっている。
なぜ変わったかは不明である。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/04/06 22:16:18

No. 128
【102】「小路上〜しょうじかみ」
由来は小路の上から。
岩手県で明治新姓時にこの苗字を申請したところ、役人が「障子上〜しょうじかみ」と誤記したため、なくなった。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/04/03 06:55:03

No. 127
【101】「討山〜とやま?」
正しい読み方不明。
現熊本県で賜った苗字であるが、明治新姓時に「計山〜とやま」と誤記されたため、なくなったとされる苗字。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/04/03 06:53:11

No. 126
【86】三ノ通
【87】国経
【88】加鹿河内
【89】川花
【90】忠誠
【91】喜田条
【92】善法寺
【93】三啄
【94】経嶋
【95】経ヶ島
【特別】たいと
【96】川堂
【97】西松本
【98】豆腐
【99】統
【100】樒

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/31 23:51:38

No. 125
【71】酒倉理
【72】惟宗
【73】坂司
【74】東平良
【75】将門
【76】国名
【77】樫ノ下
【78】上竹野
【79】君乃
【80】小名淵
【81】間可
【82】問賀
【83】小船越
【84】淕別
【85】祝渕

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/31 23:48:28

No. 124
【51】毛野塚
【52】錫柄
【53】下沼田
【54】一ノ坂
【55】小谷岡
【56】安墨
【57】入江迫
【58】条屋
【59】鶴生田
【60】下大坂
【61】幸徳井
【62】仏円寺
【63】鈴盛
【64】摂津国屋
【65】大内藤
【66】肥田瀬
【67】飛驒瀬
【68】額屋
【69】大額谷
【70】椿戸

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/31 23:45:14

No. 123
【100】「樒〜しきみ」
肥前国彼杵郡(現長崎県)の豪族にいたとされる苗字。
深堀文書、暦応五年(1342年)のものに「樒平次入道、樒七郎[平次入道息子]、同又三郎、同平五」とみられる。
また、郷村記に「一式見村」。一揆連判状に「志幾見若狭守兼国」とある。
これより、樒氏は「一式村」から起こったとされる苗字であり、「志幾見」とも表記していたのではないかと思われる。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/31 22:50:58

No. 122
【99】「統〜とう」
鹿児島県である奄美群島の一文字姓にあったとされる。
1953年に島を加えて「統島〜とうじま」に改姓したためなくなったとされるが、本サイトでは現時点で日本全国に約40人ほどいる載っている。しかしサイトによっては実在していない扱いになっているため現存するのかしないのか不明である。
できればもう一度再調査をお願いします。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/30 22:03:47

No. 121
【98】「豆腐〜とうふ」
明治新姓時に地名からこと苗字を申請した人がいたが、1950年代に「東府」に改姓したため、なくなったとされる。
由来は広島県広島市安佐北区可部東の小字の豆腐屋から。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/30 21:58:29

No. 120
【97】「西松本〜にしまつもと」
京都府京都市伏見区にある伏見稲荷大社の神主がこの苗字であった。
1788年に「中津瀬〜なかつせ」に改姓した。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/29 21:18:00

No. 119
【96】「川堂〜せんどう」
現徳島県に川堂氏がいた。
江戸時代に徳島藩(現徳島県徳島市)の藩主から「長」を賜ったため、「長川堂〜ちょうせんどう」に改姓したことで、無くなったとされる。
尚、現在は「はせどう」と読み方が変わっている。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/29 21:11:48

No. 118
【特別】「たいと」
雲3つ、龍3つから構成されたこの漢字を使う苗字である。
最初にこの苗字が紹介されたのは大須賀鶴彦著の「実用姓氏辞典」というものであるが、それ以外の出典は全く不明であるとのこと。
かつて某生命保険会社にこの苗字の人が現れ、名刺を残していったという話があるが、これはうわさ程度の話であり本当かどうかは今尚謎のままである。しかし、かつて実在した証拠もなければ実在しなかったと断言できるような証拠もない為、特別枠で紹介する。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/29 00:49:24

No. 117
【95】「経ヶ嶋〜きょうがじま?」
正しい読み方不明。
岩槻藩(現埼玉県さいたま市岩槻区)の藩士にいたとされる。
現存確認できないため無くなったとされる苗字。
「経島」へと表記を変えたか…。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/29 00:02:52

No. 116
【94】「経嶋〜きょうじま」
小浜藩(現福井県小浜市)の藩士にいたとされる苗字。また、川越藩(現埼玉県川越市)の藩士にもいた。
現存確認できないため、無くなったとされる。
「経島」へと表記を変えたか…。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/29 00:01:00

No. 115
【93】「三啄〜?」
読み方不明。
南北朝時代に称していた「三宅」姓を擬装するために「三」を残し「宅」と同音の「啄」に変更し「三啄」姓を称した後に「啄」の字義と(くちばしでつつく)同じ「嘴」に変更し「三嘴」姓を称したため無くなったとされる。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/28 23:58:17

No. 114
【92】「善法寺〜ぜんぽうじ?」
詳しい読み方不明。
現京都府八幡市にある石清水八幡宮の神主が称していた苗字で明治新姓時に「菊大路〜きくおおじ」姓に改姓したため、無くなったとされる苗字。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/28 23:53:24

No. 113
【91】「喜田条〜きたじょう」
現徳島県海部郡美波町では戦国時代に「北条」姓から「喜田条」姓に改姓し、更に「喜多条」姓に改姓したとされる。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/28 23:49:55

No. 112
【90】「忠誠〜?」
読み方不明。
現山形県鶴岡市にあった鶴岡城の城主から賜ったとされる苗字で、後に「忠鉢〜ちゅうばち」へと転じてしまったのではないかと思われる。

投稿者:つーさん 投稿日時:2019/03/28 00:38:18

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