名字伝言板(掲示板)
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【限定地域】なし(全国OK)
かつて実在した苗字
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:40:14
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今は実在が確認できないが過去には実在が確認されていた苗字を紹介しています。
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コメント一覧
No. 5
【3】「青栗〜あおくり」
東鑑の21巻に「青栗四郎、青栗七郎」という人物の名がある。また、鎌倉時代初期に信濃国の武将であった「泉親衡〜いずみちかひら」の配下にも「青栗四郎、青栗七郎」という人物がいた。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:01:42
【3】「青栗〜あおくり」
東鑑の21巻に「青栗四郎、青栗七郎」という人物の名がある。また、鎌倉時代初期に信濃国の武将であった「泉親衡〜いずみちかひら」の配下にも「青栗四郎、青栗七郎」という人物がいた。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:01:42
No. 4
【2】「上沼田下沼田沼田」
この苗字は「姓名の研究」という姓名研究の大家である荒木良造が1929年にまとめた書物の中にて紹介されている。しかし、この書物は誤った情報も多数収録されているらしく、この苗字が本当に実在していたのか詳しいことはわかっていないとのこと。
また、福井県小浜市には沼田姓が一軒もいないらしく、ネットが普及する前にもうすでに他の地に引っ越したのか、あるいは最初からいなかったのか、詳しいことは不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:57:42
【2】「上沼田下沼田沼田」
この苗字は「姓名の研究」という姓名研究の大家である荒木良造が1929年にまとめた書物の中にて紹介されている。しかし、この書物は誤った情報も多数収録されているらしく、この苗字が本当に実在していたのか詳しいことはわかっていないとのこと。
また、福井県小浜市には沼田姓が一軒もいないらしく、ネットが普及する前にもうすでに他の地に引っ越したのか、あるいは最初からいなかったのか、詳しいことは不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:57:42
No. 3
【2】「上沼田下沼田沼田〜かみぬまたしもぬまたぬまた」
幕末の若狭小浜藩(現在の福井県小浜市)の藩士にいたらしい。明治時代に入ると「沼田」に改姓しなくなった。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:55:38
【2】「上沼田下沼田沼田〜かみぬまたしもぬまたぬまた」
幕末の若狭小浜藩(現在の福井県小浜市)の藩士にいたらしい。明治時代に入ると「沼田」に改姓しなくなった。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:55:38
No. 2
【1】
正親町とは当時の邸宅が正親町東洞院に面していたからであり、公氏の長男である公房が継承した嫡流三条家(転法輪三条家)と区別するためにつけたとされる。
後に嵯峨に改姓した理由は家祖の公氏が正親町三条のほかに「西郊〜にしむら」や「嵯峨〜さが」と名乗っていたことからだと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:52:43
【1】
正親町とは当時の邸宅が正親町東洞院に面していたからであり、公氏の長男である公房が継承した嫡流三条家(転法輪三条家)と区別するためにつけたとされる。
後に嵯峨に改姓した理由は家祖の公氏が正親町三条のほかに「西郊〜にしむら」や「嵯峨〜さが」と名乗っていたことからだと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:52:43
No. 1
【1】「正親町三条〜おおぎまちさんじょう」
公家の正親町三条家は左大臣三条実房の三男である「公氏」が称したのが始まりだという。
明治時代に入ると、漢字五文字の苗字は色々と大変ということで正親町三条家の28代「正親町三条実愛〜おおぎまちさんじょうさねなる」が嵯峨姓に改姓し、なくなったとされる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:48:56
【1】「正親町三条〜おおぎまちさんじょう」
公家の正親町三条家は左大臣三条実房の三男である「公氏」が称したのが始まりだという。
明治時代に入ると、漢字五文字の苗字は色々と大変ということで正親町三条家の28代「正親町三条実愛〜おおぎまちさんじょうさねなる」が嵯峨姓に改姓し、なくなったとされる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:48:56
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