名字伝言板(掲示板)
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この伝言板は54379人が見ています
| 名字について情報がほしいです |
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【限定地域】なし(全国OK)
かつて実在した苗字
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/11 23:40:14
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今は実在が確認できないが過去には実在が確認されていた苗字を紹介しています。
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コメント一覧
No. 28
【19】「栗ヶ澤〜くりがさわ」下総国葛飾郡栗澤邑が起源の苗字。
本土寺過去帳に「栗ヶ澤平四良、永正十二乙亥三月」と載っている。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/15 18:08:39
【19】「栗ヶ澤〜くりがさわ」下総国葛飾郡栗澤邑が起源の苗字。
本土寺過去帳に「栗ヶ澤平四良、永正十二乙亥三月」と載っている。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/15 18:08:39
No. 27
【18】「後屋〜うしろや」
山梨県甲府市後屋町で後屋氏が藤の大木から戦国時代に後藤に改姓しなくなったとされる苗字。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/15 18:05:44
【18】「後屋〜うしろや」
山梨県甲府市後屋町で後屋氏が藤の大木から戦国時代に後藤に改姓しなくなったとされる苗字。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/15 18:05:44
No. 26
【17】「餓鬼塚〜がきつか」
[ニコニコ2ちゃんねる(仮]というインターネットサイトで紹介されている。
これによると、現在の神奈川県横浜市青葉区恩田あたりにあった餓鬼塚という地名が由来の苗字でかつては神奈川県にいたというが、裁判により改姓したらしい。しかし、どうやってこの情報を入手したのかは不明(もしかしたらデマかもしれない)。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 19:02:06
【17】「餓鬼塚〜がきつか」
[ニコニコ2ちゃんねる(仮]というインターネットサイトで紹介されている。
これによると、現在の神奈川県横浜市青葉区恩田あたりにあった餓鬼塚という地名が由来の苗字でかつては神奈川県にいたというが、裁判により改姓したらしい。しかし、どうやってこの情報を入手したのかは不明(もしかしたらデマかもしれない)。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 19:02:06
No. 25
【16】「尾花澤〜おばなさわ」
羽前国北村郡尾花澤邑が起源とされる苗字
①羽源記に「天童頼久が籏下、八楯の一、尾花澤藤左衛門尉」
②義光物語に「尾花澤藤左衛門」
③最上文書に「尾花澤和泉」
…などとみられる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 18:05:42
【16】「尾花澤〜おばなさわ」
羽前国北村郡尾花澤邑が起源とされる苗字
①羽源記に「天童頼久が籏下、八楯の一、尾花澤藤左衛門尉」
②義光物語に「尾花澤藤左衛門」
③最上文書に「尾花澤和泉」
…などとみられる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 18:05:42
No. 24
【15】「乙邊地〜おとべち、おつへち」
建武元年(1334年)12月14日津軽降神交名に「乙邊地小三郎光孝」という人の名がみられる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 18:00:33
【15】「乙邊地〜おとべち、おつへち」
建武元年(1334年)12月14日津軽降神交名に「乙邊地小三郎光孝」という人の名がみられる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/14 18:00:33
No. 23
【14】「聾田〜つんぼだ、つんだ」
かつて奈良県にいたとされる苗字。「聾」とは「耳の不自由なこと」を表す字で「聾唖者〜ろうあしゃ」などという言葉があるように普通は「ろう」と読むのだが、特別な読み方として「つんぼ」があり、これには差別的な意味があるとして裁判を起こし、改姓したという。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:20:38
【14】「聾田〜つんぼだ、つんだ」
かつて奈良県にいたとされる苗字。「聾」とは「耳の不自由なこと」を表す字で「聾唖者〜ろうあしゃ」などという言葉があるように普通は「ろう」と読むのだが、特別な読み方として「つんぼ」があり、これには差別的な意味があるとして裁判を起こし、改姓したという。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:20:38
No. 22
【特別】「霊界堂」
この人によると、三重県松阪市内に「霊界堂」と書いた表札が貼ってある家がたしかに存在するのだが、この家の家主の苗字は「中島」という苗字であり、霊界堂とは、中島さんが宗教活動で使っていた偽名とのこと、そのため現在も過去にも霊界堂という正式な苗字はなかったとされる。という
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:12:25
【特別】「霊界堂」
この人によると、三重県松阪市内に「霊界堂」と書いた表札が貼ってある家がたしかに存在するのだが、この家の家主の苗字は「中島」という苗字であり、霊界堂とは、中島さんが宗教活動で使っていた偽名とのこと、そのため現在も過去にも霊界堂という正式な苗字はなかったとされる。という
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:12:25
No. 21
【特別】「霊界堂〜れいかいどう」
三重県松阪市に1世帯のみ見られる苗字で、その由来などが一切わかっていない非常に珍しい苗字として紹介されています。とあるサイトに実際に霊界堂さんの家に行った人のコメントが書いてあったのでそれを紹介します。[続く…]
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:08:11
【特別】「霊界堂〜れいかいどう」
三重県松阪市に1世帯のみ見られる苗字で、その由来などが一切わかっていない非常に珍しい苗字として紹介されています。とあるサイトに実際に霊界堂さんの家に行った人のコメントが書いてあったのでそれを紹介します。[続く…]
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/13 15:08:11
No. 20
【13】「憶賴〜おくらい」
天智紀2年條に「憶賴福留、明日發船、始めて日本へ向かふ」とある。
「憶賴福留」とは元々百済国の名士であったが、百済滅亡により日本へ帰化した人物である。
また、天平宝字5年3月紀に「百済人憶賴子老等四十一人姓を石野連と賜ふ」とある。ここの憶賴は福留の子孫だと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 23:00:06
【13】「憶賴〜おくらい」
天智紀2年條に「憶賴福留、明日發船、始めて日本へ向かふ」とある。
「憶賴福留」とは元々百済国の名士であったが、百済滅亡により日本へ帰化した人物である。
また、天平宝字5年3月紀に「百済人憶賴子老等四十一人姓を石野連と賜ふ」とある。ここの憶賴は福留の子孫だと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 23:00:06
No. 19
【12】「大屋寺〜おおやでら」
鯖江藩に「大屋寺 彌助」という人がいたという。いつの時代にいたかは分からず。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:49:12
【12】「大屋寺〜おおやでら」
鯖江藩に「大屋寺 彌助」という人がいたという。いつの時代にいたかは分からず。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:49:12
No. 18
【11】「雁金屋〜かりがんや」
天文大和土一揆の大将に「雁金屋民部國之」という人物がいた。天文元年(1532年)8月7日に肘塚(現奈良県奈良市肘塚町?)にて討死したという。
土一揆記に「一揆の張本人、雁金屋民部國之の手勢百餘人、肘塚郷に殿して防戦、終に越智大學利元の為に討たる〜」とある。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:47:55
【11】「雁金屋〜かりがんや」
天文大和土一揆の大将に「雁金屋民部國之」という人物がいた。天文元年(1532年)8月7日に肘塚(現奈良県奈良市肘塚町?)にて討死したという。
土一揆記に「一揆の張本人、雁金屋民部國之の手勢百餘人、肘塚郷に殿して防戦、終に越智大學利元の為に討たる〜」とある。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:47:55
No. 17
【10】「爆弾〜ばくだん」
かつて九州北部に少数見られた苗字。今は裁判で改姓したためなくなったとされる。
とある掲示板サイトには自分の祖父が爆弾という苗字だったと書き込みをしていた人がいたが、証拠がないため本当かどうかはわからない。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:40:18
【10】「爆弾〜ばくだん」
かつて九州北部に少数見られた苗字。今は裁判で改姓したためなくなったとされる。
とある掲示板サイトには自分の祖父が爆弾という苗字だったと書き込みをしていた人がいたが、証拠がないため本当かどうかはわからない。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 22:40:18
No. 15
【9】「毘沙〜びしゃ」
江戸時代に現在の広島県で毘沙門天を祀っていたことから「毘沙」と称した人がいた。その後、明治時代に「比沙」に改姓し、無くなったとされる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 11:39:43
【9】「毘沙〜びしゃ」
江戸時代に現在の広島県で毘沙門天を祀っていたことから「毘沙」と称した人がいた。その後、明治時代に「比沙」に改姓し、無くなったとされる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 11:39:43
No. 12
【8】「檻本〜おりもと」
摂津国(大阪府付近)の名族であった。また正徳2年(1712年)に垂水村(大阪府吹田市垂水町)憶念寺を創立した人に「檻本善兵衛」という人物がいる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:46:41
【8】「檻本〜おりもと」
摂津国(大阪府付近)の名族であった。また正徳2年(1712年)に垂水村(大阪府吹田市垂水町)憶念寺を創立した人に「檻本善兵衛」という人物がいる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:46:41
No. 11
【7】「井地峯、井地峰〜いぢみね」
太田亮 著「姓氏家系大辞典」にて上杉謙信の家臣に「井地峰勘五郎」という記述がされている。
しかし、「井地峯」と「井地峰」どっちらも同じことが表記されていたのでどちらが正しい苗字か不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:40:25
【7】「井地峯、井地峰〜いぢみね」
太田亮 著「姓氏家系大辞典」にて上杉謙信の家臣に「井地峰勘五郎」という記述がされている。
しかし、「井地峯」と「井地峰」どっちらも同じことが表記されていたのでどちらが正しい苗字か不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:40:25
No. 10
【6】「野路里〜のじり?」
長野県木曽郡大桑村野尻発祥の苗字。ここは戦国時代からある地名で「野路里」とも表記されていた。この地で野路里と称した人がいたらしいが、現在は実在が確認できないため、絶滅した苗字だと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:34:01
【6】「野路里〜のじり?」
長野県木曽郡大桑村野尻発祥の苗字。ここは戦国時代からある地名で「野路里」とも表記されていた。この地で野路里と称した人がいたらしいが、現在は実在が確認できないため、絶滅した苗字だと思われる。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:34:01
No. 9
【5】「古屋垣内〜読み方不明】
兵庫県神戸市で1952年〜1959年の間に「古屋」に改姓したため現在は実在が確認できない。
読み方は他の「〜垣内」という苗字からして「ふるやがいと」だと思うが正しい読み方は不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:20:23
【5】「古屋垣内〜読み方不明】
兵庫県神戸市で1952年〜1959年の間に「古屋」に改姓したため現在は実在が確認できない。
読み方は他の「〜垣内」という苗字からして「ふるやがいと」だと思うが正しい読み方は不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:20:23
No. 8
【4】「會津屋(会津屋)」
太田亮氏がどのように調査したのかはわからないが、もしかしたら「會津屋」とは苗字ではなく単にお店の名前を苗字の代わりに名乗っていたのかもしれない。
詳しいことは不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:14:32
【4】「會津屋(会津屋)」
太田亮氏がどのように調査したのかはわからないが、もしかしたら「會津屋」とは苗字ではなく単にお店の名前を苗字の代わりに名乗っていたのかもしれない。
詳しいことは不明。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:14:32
No. 7
【4】「會津屋(会津屋)〜あいづや」
太田亮 著「姓氏家系大辞典」にて紹介されていた苗字。これによると石見国にいたらしく、それ以外の記述は全くなかった。
現在インターネットでいくつかの苗字検索サイトを調べて見ても「會津屋」という苗字は見つけられなかったので現存しない可能性が高いです。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:10:31
【4】「會津屋(会津屋)〜あいづや」
太田亮 著「姓氏家系大辞典」にて紹介されていた苗字。これによると石見国にいたらしく、それ以外の記述は全くなかった。
現在インターネットでいくつかの苗字検索サイトを調べて見ても「會津屋」という苗字は見つけられなかったので現存しない可能性が高いです。
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:10:31
No. 6
【3】「青栗」
以下は「泉親衡の乱」wiki
(建暦3年(1213年)、源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立して執権北条義時を打倒しようと図り、郎党の青栗七郎の弟で安念坊という僧を北条氏に批判的な御家人に遣わし挙兵への協力を求めていたが、千葉成胤により安念坊が捕縛され、彼の自白により陰謀は露見直ちに遣わされた捕縛の使者と合戦に及び、その混乱に乗じて逐電した。この時の配下に青栗四郎・保科次郎・籠山次郎・市村近村、粟沢太郎らの名が見える。その後の親衡の行方は不明。)
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:03:23
【3】「青栗」
以下は「泉親衡の乱」wiki
(建暦3年(1213年)、源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立して執権北条義時を打倒しようと図り、郎党の青栗七郎の弟で安念坊という僧を北条氏に批判的な御家人に遣わし挙兵への協力を求めていたが、千葉成胤により安念坊が捕縛され、彼の自白により陰謀は露見直ちに遣わされた捕縛の使者と合戦に及び、その混乱に乗じて逐電した。この時の配下に青栗四郎・保科次郎・籠山次郎・市村近村、粟沢太郎らの名が見える。その後の親衡の行方は不明。)
投稿者:つーさん 投稿日時:2019/02/12 00:03:23
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