加賀美
【読み】かがみ
【全国順位】
3,330位
【全国人数】
およそ3,700人
由来解説
加賀美さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 山梨県 | およそ1,100人 |
| 東京都 | およそ770人 |
| 神奈川県 | およそ480人 |
| 埼玉県 | およそ230人 |
| 千葉県 | およそ190人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 山梨県甲府市 | およそ350人 |
| 山梨県南アルプス市 | およそ190人 |
| 山梨県南巨摩郡富士川町 | およそ140人 |
| 山梨県甲斐市 | およそ110人 |
| 山梨県富士吉田市 | およそ100人 |
加賀美さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 山梨県 | 0.14306% |
| 東京都 | 0.00581% |
| 群馬県 | 0.00547% |
| 神奈川県 | 0.00534% |
| 静岡県 | 0.00395% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 山梨県南巨摩郡富士川町 | 0.952% |
| 山梨県南巨摩郡身延町 | 0.297% |
| 山梨県南アルプス市 | 0.268% |
| 北海道雨竜郡北竜町 | 0.238% |
| 山梨県富士吉田市 | 0.216% |
加賀美さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 加賀美 遠光 | 1143年 3月 16日 | 歴史 | 平安末期〜鎌倉前期の武将、甲斐源氏加賀美氏祖 |
| 加賀美 光賢 | 1846年 3月 21日 | 歴史 | 海軍軍人(軍医総監)、宮中顧問官、医師、住吉神社社家 |
| 加賀美 幸子 | 1940年 6月 24日 | 芸能人 | アナウンサー |
| 加賀美 セイラ | 1987年 6月 13日 | 芸能人 | |
| 加賀美 光章 | 1711年 2月 15日 | 歴史 | 江戸中期の国学者、神道家 |
| 加賀美 光経 | 歴史 | 清和源氏武田氏流甲斐源氏加賀美氏 | |
| 加賀美 光起 | 1738年 | 歴史 | 江戸中期の神職 |
| 加賀美 希昇 | 1988年 9月 5日 | スポーツ選手 | |
| 加賀美 早紀 | 1985年 2月 26日 | 芸能人 | |
| 加賀美 正光 | 歴史 | 甲斐源氏武蔵加賀美氏 |
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| 加賀美さん みんなの名字の由来 |
|---|
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安芸国守護となった武田氏に従って、安芸に移り住んだとみられる一族がある。 『芸藩通志』では、安芸武田氏家臣となった清和源氏義光流の加賀美宗遠が、嘉吉年間(1441年から1444年)に甲斐から移り住み、子孫が代々豊田郡和木村に住んだと伝えている。 |
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【投稿日】2026/03/19 20:01:04 【投稿者】匿名さん |
| 『新編風土記』によると甲斐から落ち延びてきた加賀美正光が、武蔵国橘樹郡高石村に住んでいたことが記されている。正光はのち徳川家康に仕えた。 |
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【投稿日】2026/03/19 20:00:35 【投稿者】匿名さん |
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各務勝流または清和源氏武田氏流、一条流子孫と思われる、甲斐国の加賀美氏がある。 甲斐国下小河原の加賀美氏からは、江戸時代に国学者の加賀美光章がでた。畔村の住吉神社社家加賀美氏、西保村の加賀美氏について『甲斐国志』に記述されている。 住吉神社社家からは海軍軍医総監となった加賀美光賢が出た。 これら加賀美氏の家紋は「中太松皮菱ちゅうぶとまつかわびし」「割菱わりびし」「五七梧桐ごしちのきり」「王文字おうもじ」。 |
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【投稿日】2026/03/19 20:00:10 【投稿者】匿名さん |
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清和源氏一条氏流に加賀美氏あり。 武田氏流の加賀美氏と同じ甲斐源氏であるが、加賀美遠光子孫とは別の系統の氏族である。 『武田系図』によると一条信長の子孫・宗信から加々美氏を称したとされる。 |
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【投稿日】2026/03/19 19:59:26 【投稿者】匿名さん |
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清和源氏武田氏流の加賀美氏は、甲斐国巨摩郡加賀美庄が発祥の氏族、本姓は源朝臣。 加賀美氏は甲斐源氏の祖とされる新羅三郎義光の孫・源清光の子遠光からはじまる。 遠光は武田信義の異母兄弟で、平安時代後期に甲斐源氏一族は甲府盆地各地へ土着するが、遠光は甲斐国巨麻郡加賀美郷(山梨県南アルプス市加賀美)に所在する加々美荘を本拠とし、加賀美姓を名乗る。 遠光は滝口武者であったとされ、承安元年(1171年)には宮中で怨霊を鎮めた功績により、高倉天皇から不動明王像を賜り、加賀美荘内の大聖寺(身延町)に伝わっている。 平安後期の治承・寿永の乱では、武田信義や安田義定に比して活躍に乏しいが、源頼朝の元に参じ、鎌倉幕府では御門葉の一人として信濃守に任ぜられている。 また、遠光の娘(大弐局)は文治4年に源頼家の養育に携わっている。文治5年に遠光は子息とともに奥州合戦に参加する。 加賀美氏嫡流は四男光経に引き継がれたが、その他に長男・秋山光朝の秋山氏、次男・小笠原長清の小笠原氏、三男・南部光行の南部氏、五男の於曽経行の於曾氏といった庶流が発祥、甲斐国のみならず全国に広がる氏族となった。 南アルプス市加賀美に所在する法善寺は遠光の屋敷跡とされる。 |
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【投稿日】2026/03/19 19:58:42 【投稿者】匿名さん |
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美濃国各務郡各務郷を本籍地とし、各務郡一の名門である各務勝流の加賀美氏である。 『姓氏家系大辞典』では、勝(すぐり)の姓は百済渡来系氏族が多く用いているため、美濃各務氏もそうではないかと考察している。 甲斐国中巨摩郡 に移住したため、”各務”や“鏡”という地名が発生したとされ、そしてこの地名はのちに“加賀美”と書かれるようになったといわれる。 平安後期に清和源氏武田氏流の加賀美氏が出現したことにより、各務勝流の加賀美氏も清和源氏を称するようになったと考えられている。 『寛政重修諸家譜』はこの氏族を2つ掲載している。 家紋は「中太松皮菱ちゅうぶとまつかわびし」「割菱わりびし」「五七梧桐ごしちのきり」「王文字おうもじ」。 |
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【投稿日】2026/03/19 19:57:15 【投稿者】匿名さん |
| 聖徳太子一族で天武天皇の子孫の田中氏が開墾地に平安時代以降につけた地名を子孫や家臣など関係者が名乗りました。 田中氏の身内の坂上小野のカップルから坂上春子が生まれ、春子を桓武天皇に嫁がせ葛井親王が生まれました。 田中氏の娘が嵯峨天皇に嫁ぎ田中澄を産み、田中澄の娘保子が葛井親王の息子の棟貞王に嫁ぎ、その娘を清和天皇に嫁がせ子孫が清和源氏になります。 清和源氏の先祖には田中と嵯峨天皇も桓武天皇もいます。 嵯峨天皇の別名が神野、賀美能でした。 ここから田中氏は神奈川とか能美、能登、能代などの地名も作っています。 田中氏は聖徳太子時代から百済と親交があり外交で百済の高官の娘とも結婚していますが、その後も百済の武王の子孫百済王氏と縁組みしています。田中氏と百済王氏の子孫には田口を名乗った人もいて嵯峨天皇の皇后の橘嘉智子も田口の娘が産んだ子でした。嘉智子の嘉にも百済王の先祖加須利王の加がつきます。 嵯峨天皇の別名賀美能と、田中氏と縁組みした百済王氏の先祖の加須利王の加から加賀美になったと思います。 田中氏橘氏の子孫にも橘真都賀がおり、橘氏の先祖には美努王もいるため、賀や美が共通です。 また身内に鏡王女もいたため、加賀美は鏡と同音の当て字でもあります。 主に田中氏子孫の源氏が名乗ったと思います。源氏の加賀美氏は田中氏総本家別邸のある秋田に赴任しています。 |
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【投稿日】2025/06/17 18:04:15 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
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先祖は山梨県の増穂町の舂米から明治時代に 北海道の旭川に移住 我が家とは違う家系の加賀美家が 北海道には数件ある模様 先祖が住んでいた舂米地区には 加賀美本家の上屋敷跡があり。 家紋は三階菱 |
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【投稿日】2016/05/29 17:20:03 【投稿者】遠光さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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| 加賀美さん みんなの家紋のはなし | |
|---|---|
![]() 花菱 |
【都道府県】山梨県 【武田氏族の祖】【加賀美氏の祖】の清和源氏『新羅三郎義光』(手嶋義光)の家紋。
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| 【投稿日】2023/06/05 10:46:27 【投稿者】ハルちゃんさん | |
![]() 三階菱 |
【都道府県】北海道 明治時代に曾祖父が山梨県の増穂町 舂米から移住 増穂町の加賀美氏は三階菱
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| 【投稿日】2016/11/23 08:46:50 【投稿者】遠光さん | |
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