【名字】下毛野

【読み】しもつけの

【全国順位】 調査中
【全国人数】 調査中


【名字の由来解説】

関連姓に下毛などがある
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最終更新:2024/04/19 01:44:43  最終更新者:匿名


下毛野さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
下毛野 古麻呂 歴史 飛鳥時代後期の公卿
下毛野 稲麻呂 歴史 奈良中期〜後期の貴族
下毛野 公時 1000年 歴史 平安時代中期の官人、「金太郎」モデル
下毛野 虫麻呂 歴史 奈良前期の貴族・文人
下毛野 根麻呂 歴史 奈良時代の貴族、朝臣、下野介
下毛野 多具比 歴史 奈良時代の貴族
下毛野 根麻呂 727年 歴史 奈良時代の貴族
下毛野 石代 歴史 飛鳥〜奈良時代の貴族
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下毛野さん みんなの名字の由来
崇神天皇皇子の豊城入彦命の後裔を称する皇別氏族で、「下毛野君(公)」のち「下毛野朝臣」姓を称した。
大化以後に中級貴族、10世紀以後は公家の下級武官として活躍した氏族。
国史には当初より朝廷に仕えた氏族として記載されており、大化以前の動向は明らかでない。元々は下毛野地域(現栃木県南西部)における豪族であったと推測されている。「毛野」とは古代の群馬県・栃木県南西部を指す地域名称であり、都に近い側を「上毛野」(上野国(現群馬))、遠い側を「下毛野」(後に那須を加え下野国(現栃木))とした。
『日本書紀』に第10代崇神天皇が皇子豊城命(豊城入彦命/豊木入日子命)に東国統治を命じたと記載するが、その豊城命について「上毛野君・下毛野君の祖」であると付記しており、また豊城入彦命がそれらの祖である旨は『古事記』にも記される。
平安時代初期の弘仁6年(815年)『新撰姓氏録』には下毛野朝臣について「崇神天皇皇子の豊城入彦命の後」と記載され、豊城入彦命の後裔を称する氏族は他にも多くあるが、下毛野朝臣のほか上毛野朝臣、大野朝臣、池田朝臣、佐味朝臣、車持朝臣の6氏族は「東国六腹朝臣」と総称し、毛野地域(群馬〜栃木南西部)出自の豪族としての共通点を持つ。
『続日本紀』に慶雲4年(707年)に下毛野石代が姓を「下毛野朝臣」から「下毛野川内朝臣」に変えたとあり、下野国河内郡と関係するとされる。また、『先代旧事本紀』「国造本紀」には、仁徳天皇代に豊城命四世孫奈良別が初めて下毛野国造に任じられたと記されているが、詳細は明らかでない。
毛野地域(群馬栃木南西部)には古墳時代に多くの古墳が築かれ、下毛野地域では、5世紀末〜6世紀に小山市北部にて最大規模の摩利支天塚古墳(墳丘長121メートル)、琵琶塚古墳(123メートル)が築かれている。
またやや北方の壬生町南部に、両古墳とは性格の異なる「下野型古墳」と呼ばれる独特の前方後円墳群が築かれ、これら下野型古墳が下毛野氏一族の墓と解されている。古墳群は山王塚古墳(6世紀末〜7世紀初頭)まで続いたのち、円墳に変化するため、この頃にヤマト王権による東国支配が完了し、下毛野氏一族は中央に移転したと考えられている。
古墳群北東の下野薬師寺は下毛野古麻呂による氏寺として建立と伝わる。古墳群付近には下野国庁や下野国分寺・国分尼寺も建立されており、下野国の行政的な中心地であり続けたと考えられる。
飛鳥時代以降は、天武天皇13年(684)11月、八色の姓制により他の52氏とともに「下毛野朝臣」姓が授けられた。
下毛野古麻呂が特に名高く、『大宝律令』撰定に従事したことが知られる。また大学助教であった下毛野虫麻呂が『懐風藻』に漢詩を残しているように、奈良時代頃までは学者を輩出していた。以後は中央の中・下級貴族にとどまり、10世紀以降近衛府舎人や院摂関家随身としての活躍が見られる。摂関家とは藤原道長の頃から結びつきを強め、家人として供奉・警固の任にあたった。馬術・鷹飼・舞楽・調理に優れ、厩所・随身所・雑色所の長を務め、荘園の管理まで任されている。その後も山城国乙訓郡の調子荘を本領として任にあたっていたが、室町時代中期以降衰退。
左右近衛府地下官人の調子家・富家が下毛野姓を称し、江戸時代を通じて存続した。宇都宮氏など下野地域の在地社家・武家に後裔と推測される氏族もみられる。一説に民話「金太郎」モデルとなった下毛野公時は、近衛舎人、番長を務め、藤原道長の随身として仕えたという。
【投稿日】2024/04/19 01:42:50
【投稿者】匿名さん
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下毛野さん みんなの家紋のはなし
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