溝口
【読み】みぞぐち,みぞくち,みぞのぐち
【ローマ字】
【全国順位】
419位
【全国人数】
およそ46,800人
由来解説
最終更新:2026/02/05 11:20:52 最終更新者:匿名
溝口さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 愛知県 | およそ4,700人 |
| 福岡県 | およそ4,100人 |
| 大阪府 | およそ3,900人 |
| 東京都 | およそ3,700人 |
| 兵庫県 | およそ3,000人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 佐賀県杵島郡白石町 | およそ950人 |
| 福岡県糸島市 | およそ600人 |
| 長崎県長崎市 | およそ470人 |
| 静岡県掛川市 | およそ470人 |
| 東京都八王子市 | およそ440人 |
溝口さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 佐賀県 | 0.20932% |
| 長崎県 | 0.09605% |
| 大分県 | 0.09237% |
| 鹿児島県 | 0.09217% |
| 福岡県 | 0.08114% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 佐賀県杵島郡白石町 | 4.129% |
| 熊本県球磨郡あさぎり町 | 1.218% |
| 北海道上川郡当麻町 | 0.892% |
| 佐賀県杵島郡江北町 | 0.854% |
| 三重県度会郡南伊勢町 | 0.845% |
溝口さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 溝口 直温 | 1716年 6月 10日 | 歴史 | 越後新発田藩7代藩主、旗本溝口直道四男 |
| 溝口 直侯 | 1778年 6月 11日 | 歴史 | 越後新発田藩9代藩主、溝口直信長男 |
| 溝口 遼 | 1995年 3月 9日 | 音楽家 |
|
| 溝口 隆雄 | 歴史 | 新発田溝口家15代当主 | |
| 溝口 政親 | 1653年 | 歴史 | 越後沢海藩4代藩主 |
| 溝口 琢矢 | 1995年 5月 9日 | 芸能人 | 俳優 |
| 溝口 敏盛 | 1947年 1月 12日 | 政治家 | 政治活動家 |
| 溝口 比呂子 | 1957年 12月 25日 | 芸術家 | 森園みるく |
| 溝口 宗太郎 | その他 | ||
| 溝口 直養 | 1736年 12月 24日 | 歴史 | 越後新発田藩8代藩主、溝口直温長男 |
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| 溝口さん みんなの名字の由来 |
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溝口氏(みぞぐちし)は、武家・華族。 溝口秀勝が豊臣秀吉の下で越後国新発田6万石の大名に取り立てられ、江戸期にも新発田藩主家として続き、維新後華族の伯爵家に列す。 織田信長の時代、溝口秀勝は丹羽長秀に仕え天正9年、長秀より若狭国高浜城5000石を給された。信長死後、豊臣秀吉に仕え、明智光秀や柴田勝家の遺臣たちを迎え入れて家臣団を構成していった(新発田藩の「家臣団の形成」参照)。 天正12年、長秀の遺領に堀秀政が封じられると、秀政の与力として加賀大聖寺4万4000石を領する。 秀政と共に、九州征伐や小田原征伐など各地を転戦、2代目の溝口宣勝は秀政の娘を妻とした。 この妻はのちに長寿院と称され、堀家が除封されたのちは、堀直清の次男と六男を招き入れている。 慶長3年(1598年)、溝口家は堀秀治とともに越後へ移封、新たに新発田藩6万石を領する。 関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後徳川家康から所領を安堵される。以降江戸時代を通じ、新発田藩主家として続く。 2代藩主溝口宣勝のとき、1610年に弟溝口善勝に1万2000石を分知(沢海藩)したので5万石(2000石は新田)となる。 3代藩主宣直の時の1628年にも弟宣秋に6000石、同宣俊に5000石、宣知に4500石を分与(いずれも新田)して旗本家となった。 うち宣秋の家系は交代寄合横田溝口家として続いた。 宣俊の家系は旗本池之端溝口家として続き、幕末には外国奉行を務めた溝口直清を輩出した。 また新発田藩の家老家に溝口内匠、溝口伊織の家系があるが、これはもとは加藤姓、土橋姓であったが溝口姓を賜ったものである。 1860年に至って溝口藩は「高直し」により10万石となる。 最後の藩主溝口直正は、明治元年(1868年)の戊辰戦争において米沢藩と会津藩の圧力で、初め奥羽越列藩同盟に与したが、領民は拒否して新政府を支持、居之隊、正気隊、北辰隊などの農民隊を組織して官軍を支援した。 影響で藩としても最終的には官軍に転じた。 そのため新発田藩や溝口家に処分はなかった。その後直正は1869年(明治2年)の版籍奉還で新発田藩知事に転じるとともに華族に列した。1871年(明治4年)の廃藩置県まで藩知事を務めた。 交代寄合横田溝口家の当主直景の方も朝廷に早期帰順、本領安堵され、幕臣から朝臣に転じ中大夫席に列した。中大夫以下の称が廃されると士族に編入された。 版籍奉還の際に定められた新発田溝口家の家禄は7092石。 明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき、家禄の代わりに支給された金禄公債の額は、13万8151円27銭5厘(華族受給者中50位)。 明治前期の直正の住居は、東京府麻布区麻布市兵衛町にあった。 1884年(明治17年)の華族令施行により華族が五爵制になると、直正は『叙爵内規』に基づき旧中藩知事として、伯爵位を与えられた。 『叙爵内規』の前の案である『華族令』案や『叙爵規則』案では元交代寄合を男爵に含んでおり、横田溝口家も男爵家の候補として挙げられていたが、最終的な『叙爵内規』では交代寄合は対象外となったため結局同家は士族のままだった。 直正の死後爵位を継いだ溝口直亮伯爵は陸軍軍人となり、少将まで昇進し予備役入り後、貴族院の伯爵議員に当選、陸軍政務次官などを務めた。 新発田市は溝口家の家紋である溝口菱を市章としてそのまま用いている。 |
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【投稿日】2026/06/10 18:58:58 【投稿者】匿名さん |
| 聖徳太子一族で天武天皇の子孫の田中氏が開墾した土地につけた地名を子孫や家臣が名乗りました。 田中氏は聖徳太子時代から百済と親交があり、百済王氏と縁組みしていました。田中氏は同じ蘇我一族の蘇我田口氏が鎌足らに滅ぼされたため、田口の地名を作り、田中氏百済王氏の子孫に田口を名乗らせ田口氏を復活させています。百済王氏は日本で名字を持たないため田中がつけた地名を名乗ることがありました。溝口の口は田口の口だと思います。 田中氏は土師氏(菅原道真の先祖)とも縁組みし子孫が桓武天皇から大枝姓を賜りましたが、大きな枝は裂けやすい、本家を脅かす下剋上は避けたいからと謙虚さから自ら大江に改姓したのです。 大江、菅原、紀は侍講(天皇の教育係)という家職で、みな田中の身内で縁組みを繰り返した仲でした。 侍講の講の右側パーツとサンズイで溝。 溝は侍講のうちサンズイがつく大江を示す字だと見ています。 田中氏は地名に先祖の字や役職をさりげなく混ぜ込みます。 田中と藤原魚名の娘との縁組みでの娘、藤原名子と藤原乙叡とが結婚し、娘平子は桓武天皇に嫁ぎ伊都内親王を産み、伊都内親王は平城天皇の皇子阿保親王に嫁ぎ在原業平を産みます。 大江の母は阿保親王に仕えていました。 田口氏と橘氏(田中氏の身内)との縁組みでの娘が橘嘉智子で嵯峨天皇の皇后です。 この関係者の子孫を住まわせる為の土地に田中は溝口とつけたと思われます。 田中の子孫は数え切れないほどの天皇に嫁ぎ子孫は源平になりました。 |
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【投稿日】2025/06/18 17:05:59 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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| 溝口さん みんなの家紋のはなし | |
|---|---|
![]() 腰低細井桁 |
【都道府県】新潟県 越後国の新発田藩主、溝口家の替紋。
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| 【投稿日】2022/09/08 15:18:48 【投稿者】ちば子さん | |
![]() 溝口菱 |
【都道府県】新潟県 越後国の新発田藩主、溝口家の家紋。 新潟県新発田市の市章になっている。 「五階菱」ともいう。
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| 【投稿日】2022/09/08 14:59:36 【投稿者】ちば子さん | |
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