吉田
【読み】よしだ,よした,きちだ,よじだ,きった
【ローマ字】
【全国順位】
11位
【全国人数】
およそ801,000人
由来解説
最終更新:2026/06/26 10:30:26 最終更新者:匿名
吉田さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 東京都 | およそ85,000人 |
| 大阪府 | およそ60,400人 |
| 埼玉県 | およそ59,800人 |
| 神奈川県 | およそ55,600人 |
| 北海道 | およそ44,600人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 岩手県盛岡市 | およそ8,200人 |
| 福島県いわき市 | およそ7,400人 |
| 東京都足立区 | およそ5,200人 |
| 東京都大田区 | およそ4,900人 |
| 兵庫県姫路市 | およそ4,900人 |
吉田さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 岩手県 | 1.45682% |
| 福島県 | 1.42813% |
| 福井県 | 1.18186% |
| 奈良県 | 1.05544% |
| 長崎県 | 0.93263% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 福島県双葉郡葛尾村 | 12.024% |
| 福島県石川郡平田村 | 11.87% |
| 福島県田村郡小野町 | 11.567% |
| 岩手県気仙郡住田町 | 7.938% |
| 岩手県陸前高田市 | 6.593% |
吉田さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 吉田 新 | 2000年 6月 29日 | スポーツ選手 | 奈良クラブ所属 |
| 吉田 朱里 | 1996年 8月 16日 | 芸能人 |
|
| 吉田 早希 | 1988年 6月 7日 | 芸能人 |
|
| 吉田 仁人 | 1999年 12月 15日 | 芸能人 | 俳優、歌手、ダンサー 、M!LK、EBiDAN |
| 吉田 敬 | 1973年 6月 27日 | 芸能人 | ブラックマヨネーズ |
| 吉田 華恋 | 2002年 8月 27日 | 芸能人 |
|
| 吉田 類 | 1949年 6月 1日 | 芸能人 |
|
| 吉田 善吾 | 1885年 2月 14日 | 歴史 | 海軍軍人(大将) |
| 吉田 昌郎 | 1955年 2月 17日 | その他 | 福島第一原子力発電所所長 |
| 吉田 菫 | 1992年 12月 28日 | 芸能人 |
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| 吉田さん みんなの名字の由来 |
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吉田家(よしだけ)は、卜部氏の流れをくむ公家・華族の家。公家としての家格は半家、華族としての爵位は子爵。 京都室町小路にあった自宅の敷地を足利義満にゆずったことで知られる家祖・吉田兼煕は、吉田神社の社務であることにちなみ、家名を「吉田」とした。この兼煕は、神祇大副や侍従を務め、卜部氏としてはじめて公卿に昇った。 5代兼倶は唯一神道を創始、既存の伊勢神宮系神職と激しく対立しながら、後土御門天皇を信者に得て勢力を拡大、「神祇管領長上」という新称号を自称した。以後、神祇伯の白川家を駆逐し、全国の神社に対する支配を広げていった。 9代兼見に至って、織田信長の推挙により堂上家の家格を獲得した。 近衛前久に家礼として仕え、明智光秀と深い親交のあった兼見の日記『兼見卿記』は、織豊政権期の研究に必須の一級史料となっている。 神職における吉田家の優位は江戸時代になって、寛文5年(1665年)の諸社禰宜神主法度で確定する。 歴代当主は神祇管領長上を称し、正二位神祇大副を極位極官とした。 江戸時代の家禄は760石。分家として、江戸時代初期に萩原家が出ている。 明治2年(1869年)に6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生する。吉田家も旧公家として華族に列す。 明治3年12月10日に定められた家禄は、現米で438石4斗。 明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき、家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は1万9197円92銭(華族受給者中236位)。 明治前期の当主良義の住居は東京府麹町区壱番町にあった。 明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に大納言直任の例がない旧堂上家として、良義に子爵が授けられた。 良義の夫人静子は岩倉具視三女。 良義が明治23年に死去した後には良正が爵位と家督を相続。 良正が大正2年に死去した後には良兼が爵位と家督を相続。良兼は皇子傅育官、掌典、侍従、陸軍主計中尉などを歴任。 吉田子爵家の邸宅は昭和前期には東京市牛込区市谷仲之町にあった。 |
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【投稿日】2026/06/12 03:16:07 【投稿者】匿名さん |
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土佐吉田氏は、藤原秀郷流を称した山内首藤氏一族である。山内首藤俊宗が足利尊氏に従い、功あって土佐国に領地を得たことが始まりである。 山内首藤俊宗の弟・俊氏は後に山内氏を名乗り、尾張国に住むようになる。この山内氏が、後に土佐の大名になる山内一豊の先祖である。 土佐に土着して、豪族となった後、吉田孝頼の時に長宗我部氏と姻戚関係となり、重臣として活動する。一族には有能な人物が多く、長宗我部国親・元親・盛親の3代に仕えて土佐の小豪族から四国統一の雄、そして大坂の陣の後に滅亡するまで常に主君の側にあり活躍した。長宗我部氏滅亡後、一族は離散した。 新たな土佐の主となった同族の山内氏に仕えた吉田正義、土佐で医師として活動した吉田政重、保科氏に仕えた吉田貞重、姫路で松平氏に仕えた吉田康俊らがいる。なお吉田正義の子孫に、幕末の土佐藩重鎮吉田東洋が出る。 |
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【投稿日】2026/06/06 17:31:27 【投稿者】匿名さん |
| 聖徳太子末裔であり天武天皇の曾孫である田中多太麻呂が東海道、東北に赴任して、開墾した私有地に吉田の地名をつけ子孫がそこに移り住み地名の吉田を名乗りました。 由来は田中の先祖の吉備内親王と娘田中吉備の吉と田中の田からです。 娘吉備は桓武天皇に嫁ぎましたが、その時に多太麻呂は他界しており吉備は兄の田中大魚を父親代わりにして宮中に上がったものの兄は若すぎて官位が低いために田中吉備が生んだ二人の皇子、中臣王こと初代高望王(桓武平氏平高望の祖父)と恒望王(清原令望の祖父)は親王の位をもらえず王の身分どまりでした。しかも冤罪で亡くなった先祖の吉備内親王と同じ名前の吉備は縁起をかつぐ宮中では、縁起が悪い名前と叩かれたことでしょう。 吉備が皇子を生んだ後、兄は嫁実家の中臣伊勢氏の中臣姓を名乗り吉備も中臣豊子に改名し箔をつけさせられました。そして兄の大魚の娘継子も伊勢家に養子に入れてから平城天皇に嫁がせ皇子を生み伊勢氏の身分は高いため継子の生んだ子はみな親王の身分を授かりました。側室ライバルの藤原薬子から継子一族は冤罪におとしいれられ豊子親子3人や兄も巻き込まれ亡くなります。 遺族の平高望も理不尽な待遇をされ宮中から飛び出し桓武平氏を興し、田中多太麻呂の築いた荘園に住み、桓武平氏の子孫が吉田など地名を名乗りました。清和源氏も田中子孫のため源平が縁組みし同じ吉田に同居した時代もありました。関東の他、秋田と愛知にも吉田とつけたため吉田城がかぶり、愛知の吉田はのちに豊橋に改名となりました。吉備から改名した豊子の豊がつきます。聖徳太子の妻が高橋妃でした。 |
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【投稿日】2025/06/08 11:31:34 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
| 田中多太麻呂は東海道や東北を開墾し、先祖の吉備内親王や娘の田中吉備から地名に吉田を作り、愛知や常陸や秋田の田中の荘園地名にも吉田がありました。 |
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【投稿日】2025/01/30 12:53:09 【投稿者】小町さん |
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江戸崎城(茨城県稲敷市江戸崎)は、土岐氏の居城であり天正年間には常陸平氏吉田氏の流れ鹿島氏を攻めている。鹿島氏は鹿島城(茨城県鹿嶋市)の他に一族の塚原城と林城が支城としてあった。 塚原氏の塚原城(旧鹿島郡豊郷村大字須賀)は、塚原若狭が城主。 攻め手の土岐氏の家臣に重臣の「吉田因幡守」が居られ侍大将として塚原城を攻略し落城させている。吉田因幡の家臣は「岡野備後、阿見七郎、細井右馬之助、細見六郎、村山甚助」の名が見えます。 常陸吉田氏の流れである鹿島氏、塚原氏を祖先が同じ土岐勢の吉田因幡守が攻めており戦国時代とは言え無惨なことと感じます。 *前述の山来家や国分斎藤家が他家に仕官する時に用いた「吉田姓」はこの吉田因幡家からの了承です。 *剣聖塚原卜伝も塚原城城主の時期がありました。塚原城近くに墓所があります。また塚原卜伝に関係する投稿は名字の由来の 「卜部」に入れてあります。 |
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【投稿日】2023/04/26 08:45:50 【投稿者】勝胤さん |
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桓武平氏常陸吉田氏の支流に行方氏と鹿嶋氏がおり現在の茨城県南部に所領があった。私の母の家である山来家(一条鷹司土岐家)も隣接して所領があったが慶長年間に帰農したため山来一門が仕官する場合は磯山姓の他、吉田姓で仕官したとの記録がある。親戚筋の佐原の斎藤家(国分一族)は酒井忠正家に仕官していたが分家等が他藩に仕官する場合や短期間在任で仕官する場合はやはり吉田姓で仕官していた記録がある。 常陸南部に於いては吉田姓が通りが良く又近在にいる主筋の了解を得易かったものと思える。一つの慣習とも判断される。 |
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【投稿日】2023/02/04 17:07:29 【投稿者】勝胤さん |
| 吉田は吉田神道卜部家の由来が有るようです。鳥取市にある因幡東照宮と関係が有ると高校の先生に言われました。 |
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【投稿日】2022/08/05 08:48:34 【投稿者】マックンさん |
| 東京で知り合った方は先祖は北関東福島県南部の人が多いです父も磐城出身です |
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【投稿日】2021/09/30 23:53:16 【投稿者】じゅんじさん |
| 先祖は、天草で、江戸時代は、富岡城に乗馬して登城していたと聞いてます。天保時代から家系図では、吉田でした。家紋は、丸に釘抜き。宇多源氏佐々木流の様です。 |
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【投稿日】2020/06/23 19:34:55 【投稿者】kazuさん |
| 福岡県北九州市小倉北区が、我が吉田家発祥の地と聞いております。実際、数年前まで、そこに墓があり、その墓地にある墓のほとんどが、吉田という姓の墓だったことをよく覚えております。 |
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【投稿日】2019/03/31 21:01:50 【投稿者】メンメンさん |
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南部家家臣。現在の青森県六戸町に領地を賜わる。江戸時代には南部藩五戸御給人(五戸代官所所属の土着の武士)。 現在でも、六戸町の有力者に多い。 |
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【投稿日】2017/11/25 00:00:37 【投稿者】ノブさん |
| 金沢のお寺の住職との話 |
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【投稿日】2017/05/18 20:32:27 【投稿者】吉田さん |
| 弘前藩の武士で自分は17代目です。その当時から吉田を名乗っています。家紋は違い鷹の羽です。一様300年の歴史があり過去帳も現存しています |
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【投稿日】2016/10/18 20:17:47 【投稿者】与太郎さん |
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よしだと読みます。親の出身は台東区本郷。後に、墨田区向島住。 祖父母は二人とも、東京都足立区出身。江戸っ子。 家紋は丸に横もっこ |
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【投稿日】2016/08/31 02:30:29 【投稿者】ハルにゃんさん |
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