入来院
【読み】いりきいん
【全国順位】
29,028位
【全国人数】
およそ110人
由来解説
最終更新:2026/05/19 01:22:08 最終更新者:匿名
入来院さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 鹿児島県 | およそ50人 |
| 福岡県 | およそ10人 |
| 栃木県 | およそ10人 |
| 北海道 | およそ10人 |
| 神奈川県 | およそ10人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 鹿児島県鹿児島市 | およそ20人 |
| 福岡県京都郡苅田町 | およそ10人 |
| 鹿児島県薩摩川内市 | およそ10人 |
| 栃木県宇都宮市 | およそ10人 |
| 北海道恵庭市 | およそ10人 |
入来院さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 鹿児島県 | 0.00323% |
| 栃木県 | 0.00048% |
| 福岡県 | 0.00026% |
| 熊本県 | 0.00025% |
| 三重県 | 0.00024% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 鹿児島県肝属郡錦江町 | 0.051% |
| 福岡県京都郡苅田町 | 0.036% |
| 鹿児島県日置市 | 0.016% |
| 北海道恵庭市 | 0.013% |
| 鹿児島県志布志市 | 0.012% |
入来院さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 入来院 定勝 | 1736年 5月 19日 | 歴史 | 江戸中期の薩摩藩士、島津継豊子、入来院氏24代 |
| 入来院 明雅 | 1672年 3月 27日 | 歴史 | 薩摩藩家臣、薩摩入来領主、入来院氏22代当主 |
| 入来院 重豊 | 歴史 | 室町〜戦国時代の武将、入来院氏10代当主 | |
| 入来院 重堅 | 1675年 | 歴史 | 江戸中期の薩摩藩士 |
| 入来院 重時 | 1573年 | 歴史 | 安土桃山期の武将、島津氏家臣、入来院氏15代当主 |
| 入来院 規重 | 1682年 | 歴史 | 江戸中期の薩摩藩士、薩摩入来領主、入来院氏21代当主 |
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| 入来院さん みんなの名字の由来 |
|---|
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入来院氏(いりきいんし、いりきいんうじ)は、桓武平氏、秩父氏の流れを汲む武家氏族。渋谷氏支流。 鎌倉時代の当主渋谷光重は、宝治元年(1247年)の宝治合戦の功により、薩摩国に多くの所領を得た。 光重は長男・重直に、相模国の所領を相続させ、残りの子らを薩摩の所領に下向させた。 渋谷実重、渋谷重保、渋谷重茂、渋谷定心、渋谷重貞ら(うち何人かは死去していたので子孫)が下向、光重の五男・定心は、入来院を相続して入来院氏の祖となった。 その後定心の嫡男・入来院明重に地頭職を継承させ、その子・公重は元寇の際、北九州に出陣して、防衛に当たった。 その後南北朝時代に、南朝方に味方して、北朝方の島津氏らと争ったが、峰ヶ城攻防戦で当主の入来院重門は討死した。 家督は嫡男・重頼が継いで、引き続き島津氏との争いを繰り広げた。 後に島津氏が今川了俊と対立すると、南九州国人一揆に参画、武家方に転じた。 その後も島津氏とは抗争を続けるも、今川了俊の失脚によって劣勢に転じ、島津元久や島津伊久らの攻撃によって、居城清色城が包囲され、重頼は降伏して清色城を去った。 しかし、島津元久と島津伊久は不和となり、重頼は伊久に味方して、失地の回復を図った。 応永8年(1400年)、伊久と重頼は協力して元久を破り、応永18年(1410年)には元久が病に倒れ、入来院重頼・重長父子は清色を回復した。 島津奥州家の島津久豊は、永利城を落として重長に与え、重長は奥州家に帰順した。 島津久豊の死後、嫡男の島津忠国が家督を継いだが、父ほどの統率力はなく、再び国人領主らの争いが頻発した。 入来院重茂や重豊は、島津忠国に協力して活躍した。 島津忠国と島津用久との対立では忠国に味方したが、忠国と忠国嫡子の立久との対立においては、重豊は立久に協力した。 戦国時代に入った文明16年(1484年)、日向国の伊東祐国が島津忠昌に対して謀反を起こすと、入来院重豊は、祁答院重度や島津忠廉らと共に同調した。後に島津忠廉と島津忠昌が和睦すると、入来院氏は再び島津氏に帰順した。 入来院重聡の代になると、島津宗家を支え、忠昌の死後家督を継いだ島津忠治、島津忠隆、島津忠兼に仕えた。 島津勝久と島津実久が島津宗家の座を巡って争うようになると、実久は勝久方の入来院氏らの所領を侵略するようになった。 そのため島津勝久は伊作家の島津忠良を頼って、忠良の嫡子・貴久を養子とした。 入来院重聡は伊作家劣勢の状況にもかかわらず忠良方に味方、重聡は娘を貴久の室とした。後に重聡の娘は名将として高名を馳せる島津義久・義弘・歳久を産んだ。 入来院氏はその後も、島津氏の勢力拡大に貢献、広大な所領を手に入れたが、入来院重朝の代になると島津貴久との間に齟齬が生じ、重朝は、肝付兼演や祁答院良重、蒲生茂清らと結んで、再び島津氏と対立するようになる。 天文18年(1549年)、島津氏の攻撃によって加治木城が陥落し、肝付氏は降伏。入来院氏ら渋谷一族も島津氏に降伏した。 しかし天文23年(1554年)、重朝は祁答院良重や蒲生範清らと再び反旗を翻した。重朝の従兄弟である島津義久、義弘、歳久は岩剣城の戦いで初陣を飾った。 入来院氏らは蒲生城の戦い等でも敗戦を重ね、弘治3年(1557年)に蒲生氏が島津氏に降伏すると、渋谷一族も撤退した。 重朝の子、重嗣は同族の東郷氏と連携して島津氏と戦ったが、永禄12年(1569年)、重嗣は東郷重尚と共に島津貴久に降伏した。 度重なる抵抗の結果、入来院氏は本領の清色以外の所領を召し上げられた。 その後は島津氏に背くことなく従い、天正年間前半には日向国伊東氏との戦いや、肥後国相良氏との戦いに従軍。天正11年(1583年)に入来院重豊が死去。男子なく、島津以久の子重時を養子として家督を継がせた。 桓武平氏渋谷氏末裔の入来院氏は、ここに完全に島津氏一門として組み入れられることとなった。 島津氏が勢力を拡大、豊後国の大友宗麟が勢力を衰退させ、宗麟は天下人豊臣秀吉を頼り、秀吉は九州平定を開始した。 各地で島津軍は敗戦を続け、入来院重時も抗戦したが大敗を喫し、島津氏は豊臣秀吉に降伏した。 文禄4年(1595年)、島津氏領内では国人の在地性を切り離すため、所領替えが実施された。 入来院氏は入来郷から大隅国湯之尾郷に移封となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、入来院重時は島津義弘に従って出陣。 島津の退き口と呼ばれる撤退戦の最中、重時は義弘らを見失い、近江国で追手の手に掛かって討死した。 重時にも子が無く、島津義虎の子が入来院重高と名乗って家督を継いだ。 江戸時代に入ると再び入来郷に転封され、以後は一門重臣として、明治維新を迎えた。 |
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【投稿日】2026/05/19 02:54:25 【投稿者】匿名さん |
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