調所
【読み】ずしょ,ちょうしょ
【全国順位】
19,269位
【全国人数】
およそ240人
由来解説
調所さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 東京都 | およそ40人 |
| 宮崎県 | およそ30人 |
| 千葉県 | およそ30人 |
| 鹿児島県 | およそ20人 |
| 山形県 | およそ20人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 宮崎県宮崎市 | およそ20人 |
| 山形県山形市 | およそ20人 |
| 東京都新宿区 | およそ20人 |
| 大阪府岸和田市 | およそ10人 |
| 東京都世田谷区 | およそ10人 |
調所さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 宮崎県 | 0.00264% |
| 山形県 | 0.00197% |
| 鹿児島県 | 0.00139% |
| 山梨県 | 0.00047% |
| 千葉県 | 0.00044% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 鹿児島県姶良郡湧水町 | 0.083% |
| 宮崎県児湯郡新富町 | 0.049% |
| 神奈川県足柄下郡湯河原町 | 0.029% |
| 鹿児島県志布志市 | 0.025% |
| 埼玉県入間郡毛呂山町 | 0.02% |
調所さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 調所 廣鄕 | 1776年 3月 24日 | 歴史 | 江戸後期の薩摩藩家老 |
| 調所 広丈 | 1840年 5月 2日 | 歴史 | 薩摩藩士、官僚・貴族院議員、男爵調所広丈家初代 |
| 調所 恒徳 | 1860年 2月 15日 | 政治家 | 鉄道技術者、実業家、貴族院議員、男爵調所広丈家2代 |
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| 調所さん みんなの名字の由来 |
|---|
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調所家は本姓藤原氏を称する。 初代・藤原調所(ちょうそ)恒親(つねちか)は藤原北家出身。恒親は神職として京から大隅国へ赴任し、調所職(ちょうそしき)という徴税職を兼ねたため調所を姓とした。 調所恒林は、近衞前久より「廣」の一字を拝領、廣榮と改め、以後調所家の通字となる(「旧記雜録家分け調所氏」参照)。 広郷は調所家分家6代目にあたる。広郷が相続したのは調所大炊左衛門の養子、調所内記次男である調所善右衛門を家祖とする調所家であり、万治2年の石高は10石であったことが、『万治鹿府高帳』より知ることができる。 |
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【投稿日】2026/03/24 10:43:27 【投稿者】匿名さん |
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調所家(ずしょけ、ちょうしょけ)は、武家・士族・華族。 江戸時代に薩摩藩士だった家系で、薩摩藩の財政改革を行った調所広郷を輩出、維新後には広郷の息子広丈が勲功により華族の男爵家に列す。 読み方は江戸期には「ずしょ」だったが、明治以降「ちょうしょ」に改めた。 江戸時代後期に薩摩藩の赤字財政の財政改革にあたった家老調所広郷(ずしょひろさと)が出た。 広郷は、薩摩藩下級武士の川崎家の生まれだが、調所清悦の養子に入り、島津重豪に寵愛され家老に出世、500万両もの巨額に達していた藩債の整理に当たり、20年間で藩庫に100万両もの蓄えをつくることに成功した。 また、琉球王国を通じて密貿易をさかんに行うことで利益をあげたが、それが江戸幕府に露見、自害に追いやられた。しかし彼の財政改革が後に薩摩藩の明治維新運動の原動力となる。 広郷三男である調所広丈(ちょうしょひろたけ)は、明治5年から開拓使に出仕、明治15年の開拓使廃止後には札幌県令に任じられた。 明治19年に札幌・函館・根室三県の廃止と北海道庁の創設に伴い、元老院議官に転じ、明治22年に高知県知事、明治25年に鳥取県知事を歴任。 明治27年に依願免官した後も貴族院の勅選議員を務めた。『授爵禄』(明治三十三ノ二年)によれば、明治33年5月5日付けの宮内省当局側立案書類で調所広丈の授爵が詮議されており、授爵基準の「維新前後に国事の功労あり、かつ十年以上勅任官の職にある者」に該当するとされ、同月8日に明治天皇の裁可を得て、翌日付けで華族の男爵に叙せられる。 広丈の息子の2代男爵調所恒徳(ちょうしょつねのり)は、国有になる前の日本鉄道会社に勤務、退職後、父の遺業を継承する形で北海道の開墾地を経営、貴族院男爵議員に当選して務める。 その息子3代男爵調所一郎(ちょうしょいちろう)の代に調書男爵家の住居は東京市目黒区下目黒にあった。 |
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【投稿日】2026/03/24 10:40:17 【投稿者】匿名さん |
| その昔テレビ宮崎の「さんさんサタデー」に出演していたドキドキおじさんこと、調所優一郎さんは「じゅうしょ」と読みます。 |
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【投稿日】2021/03/16 14:24:22 【投稿者】夏川さん |
| 苗字の由来は調べものを扱う役人ではなく調という税金を扱う役所であります。藤原調所恒親(ふじわらのちょうそつねちか)が巨大で、京都から大隅に赴任する時、調所職(ちょうそしき)という徴税役人としての役職を得たのが初めです(平安京時代末期)。これは東大史学科出身の芳即正先生や原口虎雄先生が調所広郷絡みの書物で書かれております。 |
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【投稿日】2019/12/28 09:23:13 【投稿者】いっちゃんさん |
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「ちょうしょ」と読む人もいます。 薩摩藩の家老・調所広郷の三男である広丈が、姓の読みを「ずしょ」から「ちょうしょ」に変えたそうです。 |
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【投稿日】2018/01/27 14:14:30 【投稿者】ちば子さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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