上井
【読み】うわい,かみい,うえい,じょうい,あげい,うあい
【全国順位】
3,663位
【全国人数】
およそ3,300人
上井さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 大阪府 | およそ390人 |
| 北海道 | およそ290人 |
| 東京都 | およそ250人 |
| 三重県 | およそ220人 |
| 愛知県 | およそ200人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 富山県富山市 | およそ130人 |
| 三重県伊勢市 | およそ110人 |
| 香川県高松市 | およそ100人 |
| 北海道富良野市 | およそ60人 |
| 三重県鳥羽市 | およそ50人 |
上井さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 富山県 | 0.01559% |
| 香川県 | 0.01414% |
| 石川県 | 0.01337% |
| 三重県 | 0.01301% |
| 鹿児島県 | 0.01155% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 北海道新冠郡新冠町 | 0.492% |
| 奈良県吉野郡川上村 | 0.344% |
| 宮崎県東諸県郡綾町 | 0.287% |
| 三重県鳥羽市 | 0.277% |
| 奈良県吉野郡東吉野村 | 0.276% |
上井さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 上井 覚兼 | 1545年 3月 23日 | 歴史 | 戦国〜織豊期の武将、島津氏家臣、諏訪氏支流 |
| 上井 文彦 | 1954年 4月 4日 | その他 |
|
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| 上井さん みんなの名字の由来 |
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上井(うわい)氏は諏訪氏後裔を称し、薩蜜日置郡永吉地頭であった。 諏訪為秋は大隈国上井を領していたが、天文十七年(1548)島津家に降り、薩摩吉永地頭に命ぜられる。 以後島津氏に仕えるようになり、姓を諏訪から上井に改めた。為秋の子薫兼は、辺田七人衆の一人であった。 天正元年(1573)薫兼は、家督を嫡子覚兼に譲った。この覚兼が「上井覚兼日記」を記したことで知られる上井覚兼その人である。 覚兼は、永禄二年(1559)頃、元服して島津貴久に仕え、永禄四年、17歳の夏に初陣して以降、功績を重ねた。 父から永吉郷の地頭職を譲け、天正元年(1573)29歳にして島津義久の奏者となり、鹿児島へ移った。 よく義久に仕え、天正四年には老中に抜擢された。以後も日向高城、牛根など各地を転戦し功を重ねる。 天正八年(1580)には、大友氏から攻めとった日向宮崎地頭に任ぜられ、島津家久を助けて日向の大将をつとめ、日向国の経営にあたる。 宮崎にあって島津家中における一領主であると同時に、義久の家臣でもあった。そして年に数回鹿児島の談合に参加した。 軍事面においても、義久の九州制覇の為に東奔西走し「寔軍陣軍旅戦場常在也」という有様であった。 日向勢を率いて天正九年(1581)から天正年十三(1585)にかけて、四度肥後へ出陣している。しかし天正十三・十四年には、出陣を遅延し義久に咎められたこともあったが、それは理由があってのことであり、覚兼は義久に対して奉公熱心な家臣であり続けた。 天正十四年(1586)七月二十七日には、大友氏の武将高橋紹運の守る筑前岩屋城に対し、島津勢の総攻撃のとき、石打と鉄放とに当たって負傷した。 同年十月十五日、家久と共に大友氏の本国である豊後に攻め入り各地を転戦した。 しかし翌十五年 (1587)、豊臣秀吉の下向により兵を収めて宮崎に撤退。 やがて羽柴秀長に降伏、鹿児島に帰り、ほどなく伊集院に隠居した。 このとき義久より、永年の労に対しての書を賜った。 これが島津氏に尽くして各地に転戦しながら、ついには隠居を余儀なくされた覚兼にとっての慰めであったろう。 その後覚兼は表舞台に立つことはなく、失意のまま天正十七年六月十二日、伊集院の地において他界。享年四十五歳。 島津家には、新納忠元をはじめ、教養の高い人物が多いが、覚兼も優れた教養人であった。 覚兼が書き残した 「上井覚兼日記」は有名である。 これには軍事や政治などの記述のほか、和歌や詩歌についても記述されており、 文武両道であった覚兼の人柄をしのばせるとともに、当時の薩摩の武将たちの生活を知ることが出来る、貴重な資料でもある。 また随筆として「伊勢守心得書」も残している。 ところで覚兼の弟秀秋も、器量人であった。小林・馬関田・綾の地頭を務め、義弘に従って飯野城へ入り、日向伊東氏との木崎原の合戦で活躍した。天正十年、義弘飯野城時代の家老となった。子の里兼も家老職を継いだ。 |
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【投稿日】2026/03/23 04:43:01 【投稿者】匿名さん |
| 上井覚兼で知られる大隅国の上井氏は諏訪氏支流。覚兼の祖父・上井為秋(諏訪為秋)の代から島津氏の家臣となる。 |
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【投稿日】2025/03/23 08:16:04 【投稿者】匿名さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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