大河内
【読み】おおこうち,おおごうち,おうこうち,おおかわち,おおこうじ,おおかわうち,おこち,おおこううち,おおこち,おおがわら,おおがうち,おおがわうち,おかうち,おごうち,おがうち
【ローマ字】
【全国順位】
1,312位
【全国人数】
およそ12,700人
由来解説
最終更新:2026/02/15 16:44:57 最終更新者:匿名
大河内さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 愛知県 | およそ3,400人 |
| 東京都 | およそ1,500人 |
| 福島県 | およそ1,100人 |
| 神奈川県 | およそ900人 |
| 埼玉県 | およそ890人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 愛知県西尾市 | およそ460人 |
| 福島県福島市 | およそ430人 |
| 愛知県愛西市 | およそ400人 |
| 三重県津市 | およそ300人 |
| 愛知県岡崎市 | およそ280人 |
大河内さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 福島県 | 0.06202% |
| 愛知県 | 0.0469% |
| 三重県 | 0.02862% |
| 和歌山県 | 0.02198% |
| 香川県 | 0.02143% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 長野県下伊那郡売木村 | 0.685% |
| 愛知県愛西市 | 0.642% |
| 福島県東白川郡鮫川村 | 0.502% |
| 福島県伊達市 | 0.459% |
| 北海道上川郡剣淵町 | 0.426% |
大河内さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 大河内 信古 | 1829年 5月 25日 | 歴史 | 三河吉田藩7代藩主、子爵三河吉田大河内家初代 |
| 大河内 正質 | 1844年 5月 26日 | 歴史 | 上総大多喜藩9代、子爵大多喜大河内家初代、貴族院議員 |
| 大河内 浩 | 1956年 5月 11日 | 芸能人 | |
| 大河内 一男 | 1905年 1月 29日 | 研究者 | 経済学者、東京大学総長 |
| 大河内 久綱 | 1570年 3月 21日 | 歴史 | 織豊〜江戸初期の武将、三河大河内氏13代 |
| 大河内 秀綱 | 1546年 | 歴史 | 戦国武将、旗本、大河内宗家12代、寺津城主 |
| 大河内 信相 | 1683年 | 歴史 | 江戸中期の旗本、大河内宗家16代 |
| 大河内 豊貫 | 1727年 | 歴史 | 江戸中期の旗本、大河内宗家18代 |
| 大河内 貞綱 | 歴史 | 戦国時代の武将、吉良氏家臣、遠江引馬城主 | |
| 大河内 久徴 | 1774年 | 歴史 | 江戸後期の旗本、大河内宗家20代 |
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| 大河内さん みんなの名字の由来 |
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家紋は、大多喜藩主宗家の定紋が「臥蝶に十六菊」、替紋が「三ツ扇」である。 吉田藩主大河内家の家紋は「丸に臥蝶に十六菊』で、通称伊豆蝶とも呼ばれている。宗家の臥蝶は触角が直線のみで、羽の模様が多い。 吉田藩主大河内家の臥蝶は、触角の装飾があり、羽は宗家の臥蝶と比べると簡素な特徴がある。 高崎藩主大河内家の家系(右京大夫家)の定紋は「三つ雁木扇」で、通称高崎扇と呼ばれている。 この形を基盤に、高崎市立の高崎経済大学の学章ができた。右京大夫家では丸の無い臥蝶に十六菊が替紋となる。 大多喜家は、高崎右京大夫家と同じく三ツ扇が正紋だが、扇の外周が丸く骨もまっすぐである。大多喜家の替紋は臥蝶に十二菊である。 |
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【投稿日】2026/05/27 23:12:09 【投稿者】匿名さん |
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大河内氏(おおこうちし)は、武家・華族。 摂津源氏源頼政の孫・顕綱の後裔と称し、正綱の代に、長沢松平家養子となったことで松平姓を与えられた。 大名・旗本として複数家あり、「知恵伊豆」と称された老中・松平信綱が著名。明治時代に入り、大河内姓に復し、大名だった大河内家3家が、華族の子爵家に列せられた。 源顕綱(1179年〜1230年)は、治承4年(1180年)の以仁王の乱で、祖父頼政と父兼綱が討たれると、母と共に三河国額田郡大河内郷(愛知県岡崎市大平町(額田郡西大平村及大平村)字大河内、現在の東名高速道路の岡崎インターチェンジの辺り)に落ち、大河内氏を称した。 しかし大河内氏の初期段階の一族の動向・家系図には不明な点多く、顕綱も信頼性のある資料に見えていないことから、仮冒であるとする説もある。 承久3年(1221年)、承久の乱の戦功により、足利義氏が守護職に補任され三河に入ると、大河内顕綱は義氏の被官となり、その子大河内政綱(政顕)も、また足利泰氏に従ったとされる。その後大河内氏は、足利氏一門で三河の名族吉良氏の家老となり、幡豆郡の寺津城を拠点とした。 吉良氏の所領・遠江国浜松荘(静岡県浜松市)代官となった一流があり、戦国期に大河内貞綱は遠江守護職の斯波氏と結び、侵攻する今川氏に執拗に抵抗した。 12代大河内秀綱は、初め吉良義昭に仕えて三河一向一揆では主と共に徳川家康に敵対したが、義昭の没落後は家康に属した。慶長年間に鹿沼で代官をつとめている。 天正15年(1587年)、秀綱の二男正綱が、家康の命で長沢松平家庶流の松平正次養子となり、旗本として出世の後、元和3年(1617年)に相模玉縄藩2万2000石の大名となったことから、この子孫は大河内松平家と呼ばれる。 正綱の兄大河内久綱の子で、正綱の養子となった松平信綱は、3代将軍徳川家光の小姓より、老中に進むとともに、武蔵忍藩(埼玉県行田市)3万石・同川越藩主(同県川越市)6万石と加増、島原の乱、慶安の変の鎮圧などで活躍した。 江戸時代には大名家として三家があった。 玉縄藩は松平正綱の長男正信が相続、その孫正久のときに上総大多喜藩に転じた。 松平信綱とその子孫は代々「松平伊豆守」を名乗り、下総古河藩・三河吉田藩と移りながら、老中を何人か輩出した。信綱の五男信興は下総土浦藩に封ぜられ、養子輝貞からは上野高崎藩主として幕末に至った。 なお、近世以前に分かれた一族の別系に、代々「大河内善兵衛」を称した旗本があった。 最後の三河吉田藩主松平信古は、王政復古後明治元年(1868年)に松平姓を廃棄、大河内姓に戻した。 明治2年(1869年)の版籍奉還で、吉田藩知事に転じ、藩名を豊橋藩と改名、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県を迎えた。 高崎藩と大多喜藩の大河内家も同様、藩知事に任じられたのを経て廃藩置県まで務めた。 明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合され、華族制度が誕生すると大名家だった3家の大河内家も大名家として華族に列した。 明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で、華族が五爵制になると、同月8日に信古(旧豊橋藩)、輝耕(旧高崎藩)、正質(旧大多喜藩)の3人が旧小藩知事として子爵に列せられた。 豊橋大河内家の正敏(大多喜大河内家からの養子)は、貴族院の子爵議員として研究会の領袖や内閣調査局参与を務めた他、工学博士として理化学研究所所長などを歴任。彼の代に豊橋大河内子爵家の邸宅は東京市下谷区谷中清水町にあった。 2019年、藤原定家による源氏物語の若紫巻の鎌倉時代の写本が、大河内家邸より発見された。 |
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【投稿日】2026/05/27 23:11:05 【投稿者】匿名さん |
| 聖徳太子一族で天武天皇の子孫の田中氏がつけた地名で子孫や家臣が名乗っています。 語源は先祖の字の組み合わせで、大海人皇子や田中大魚の大、星河女王の河、藤原内麻呂の内です。田中は伊勢養女にした子孫(田中大魚の娘)を藤原内麻呂の息子真夏に嫁がせたため縁組み子孫のために分与した土地につけた地名だと思います。大川内もあり、石川宿禰の川です。 田中の子孫はたくさんの天皇に嫁ぎ子孫が源平になりました。藤原に娘を嫁がせていますし、田中の外孫の坂上田村麻呂も秋田では藤原(のちの佐藤)を名乗りました。藤原姓から大河内に住み名字を変えた子孫もいます。丹党も田中の身内です。藤原真夏の母百済永継(田中の身内)は桓武天皇の妻となり良岑を産みその子孫が丹党となります。 |
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【投稿日】2025/07/16 07:47:08 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
| 村上源氏中院流北畠家庶流大河内氏は「おかわち」と読む。 |
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【投稿日】2024/04/10 21:17:08 【投稿者】匿名さん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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![]() 三つ扇 |
【都道府県】千葉県 上総国・大多喜藩主の(松平)大河内氏が使用しています。
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| 【投稿日】2023/02/15 09:17:58 【投稿者】ちば子さん | |
![]() 高崎扇 |
【都道府県】群馬県 高崎藩主の大河内家の定紋。 『三つ雁木扇』だが、通称『高崎扇』。
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| 【投稿日】2023/02/14 11:56:57 【投稿者】ちば子さん | |
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