品川
【読み】しながわ,しなかわ
【全国順位】
1,043位
【全国人数】
およそ16,700人
由来解説
品川さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 東京都 | およそ1,700人 |
| 福岡県 | およそ1,400人 |
| 山口県 | およそ1,100人 |
| 広島県 | およそ1,100人 |
| 大阪府 | およそ1,000人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 群馬県前橋市 | およそ650人 |
| 山口県萩市 | およそ220人 |
| 山口県山口市 | およそ210人 |
| 山口県岩国市 | およそ200人 |
| 福井県鯖江市 | およそ190人 |
品川さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 島根県 | 0.10694% |
| 山口県 | 0.08498% |
| 群馬県 | 0.05085% |
| 広島県 | 0.04038% |
| 福井県 | 0.0351% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 京都府与謝郡伊根町 | 1.236% |
| 島根県邑智郡邑南町 | 0.857% |
| 京都府宮津市 | 0.844% |
| 島根県邑智郡美郷町 | 0.797% |
| 兵庫県神崎郡市川町 | 0.789% |
品川さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 品川 祐 | 1972年 4月 26日 | 芸能人 | お笑いコンビ、品川庄司のボケ担当。 |
| 品川 弥二郎 | 1843年 11月 20日 | 歴史 | 官僚、内務大臣、子爵 |
| 品川 信方 | 1684年 | 歴史 | 高家旗本品川氏5代当主 |
| 品川 伊氏 | 1669年 | 歴史 | 高家旗本品川氏3代当主 |
| 品川 清実 | 歴史 | 紀姓武蔵品川氏祖 | |
| 品川 高如 | 1612年 | 歴史 | 高家旗本品川氏2代当主 |
| 品川 雅直 | 歴史 | 花山源氏白川家流加賀藩士品川家 | |
| 品川 氏章 | 1845年 7月 28日 | 歴史 | 長府藩士、報国隊士、陸軍軍人(少将) |
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| 品川さん みんなの名字の由来 |
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紀氏長谷雄流の品川氏(しながわし)は、鎌倉時代から室町時代にかけて武蔵国荏原郡品川郷を中心に活動した武家。 品河氏とも表記される。家祖は紀実直(大井実直)の子・品川清実。 平安時代末期、紀実直は国衙の関係者として武蔵国に土着、荏原郡大井郷の地名から大井氏を称した。 大井氏は次男大井実春が継ぎ、一族は周辺地域に所領を得て広がった。実直の子から分かれた一族には、品川氏のほかに春日部氏・堤氏・潮田氏がある。 1184年(元暦元年)8月、実直の三男・清実は、源頼朝から品川郷の雑公事を免除されている(田代文書)。この文書が「品川」の地名が登場する現存最古の史料である。 1185年(文治元年)2月、清実は源範頼の下で豊後上陸に関わる水軍の「先登」に選ばれている。その後も品川氏は、大井氏と共に頼朝の「随兵」に選ばれるなど厚遇されていた。 品川氏の重要な役割として、武蔵国の国府津である品川湊の管理があげられる。 紀氏は伊勢国との関係の深い氏族で、品川氏の所領は伊勢国員弁郡曾原御厨にもあった。1242年(仁治3年)頃には伊豆国の田代氏と婚姻関係があることが記録されており、品川氏は伊勢から品川までの太平洋航路にも関わっていたと考えられる。 品川氏の館の所在地については、貴船神社(品川区西品川3丁目)周辺の台地上が有力とされている。ほかに現在の戸越公園(品川区豊町2丁目)とする説もある。 品川氏は陸奥国長世保弘長郷、和泉国草部郷にも所領を持っていた。 1221年(承久3年)の承久の乱における「宇治川の合戦」での戦功により、近江国三宅郷が与えられた。 その後、紀伊国粉河寺領丹生屋村も所領となった。丹生屋村は、高野山領名手荘との相論が有名で、品川氏も一方の当事者として争いに巻き込まれた。 中国地方では出雲国に大原郡広田庄の地頭職として赴任して行き、戦国時代の品川大膳に繋がるとの説がある。また安芸国にも所領があったという説がある。これらは戦乱や相続によって逸散したようだが、一族は西遷していったようでもある。 1424年(応永31年)、鎌倉公方足利持氏によって、品川氏はわずか館とその周辺のみを残し、品川郷を没収された。 これには、品川氏が上杉禅秀の乱に関与したためという説がある。以後史料において品川氏宗家の姿は見られず、没落したものと思われる。 |
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【投稿日】2026/05/12 08:58:03 【投稿者】匿名さん |
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安芸国の守護大名清和源氏安芸武田氏に仕えた一族。 鎌倉時代、武田氏庶流である品川信民が安芸国可部荘(広島県安佐南区)の地頭職として赴任したのが始まりとされる。品河氏ともいう。 『応仁武鑑』によれば、伴氏と共に安芸武田氏の城代家老を務め、代々品川左京亮を名乗り重臣として活動した。 安芸武田氏滅亡後は毛利氏に仕えた。その後長州藩士として続き、萩藩閥閲録によれば長州藩典医であり、こちらも当主は代々品川左京亮を名乗った。 品川弥二郎の家系は分家し、阿武郡萩の松本村へ移住した家系であるという。同家については品川家(子爵家)を参照。 また安芸品川氏として、第二次月山富田城の戦いに山中幸盛との一騎討ちをした品川将員が居るが、こちらは石見国益田家家臣紀氏庶流安芸品川氏とあるが、萩藩閥閲録における安芸品川氏は前述の安芸武田氏の流れとあり、品川将員は安芸武田氏とされることが多いが、紀氏品川氏の流れと考えるのが妥当である。 |
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【投稿日】2026/05/12 08:33:11 【投稿者】匿名さん |
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加賀藩士の品川家は、花山源氏の白川伯王家第21代当主・神祇伯参議白川雅陳王三男である品川雅直(左門)を始祖とする。江戸時代に加賀藩で武家として重臣を務めた一族である。 江戸時代初期、品川雅直は加賀藩3代藩主・前田利常に仕えて重用され、利常が没すると殉死を遂げた。子孫は代々加賀藩に仕え、約70家ある人持組(重臣)のひとつに位置づけられて、3000石を給された。 |
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【投稿日】2026/05/12 08:10:21 【投稿者】匿名さん |
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旗本の品川家は、江戸幕府の高家を務めた家系。 駿河国の戦国大名であった今川氏(清和源氏足利一門、吉良氏傍流)から分かれた家。今川氏真(今川義元の子、今川家12代)の次男品川高久を家祖とする。 初代高久は、慶長3年(1598年)徳川秀忠に御目見、慶長6年(1601年)に1000石を給された。 「今川の名字は嫡流のみ」という室町時代以来の由緒(天下一苗字)を重んじた秀忠より、名字を改めることを命じられ、高久は屋敷のある品川の地名を名字とした。 以後、品川家は今川宗家とともに江戸幕府の下で高家旗本として続き、2代高如・3代伊氏・11代氏繁が高家職(奥高家)に就いた。 2代高如は、実子(松平重治)を能見松平家の跡目に出し、重治の子の伊氏が外祖父の跡を継いで3代当主となっている。伊氏は元禄・宝永期に高家肝煎を務め、今川宗家をしのぐ1500石まで加増された。 高久の兄・範以の系統である今川宗家は、13代直房(高久の甥)が継承したが、実子が相次いで早世、後継者に恵まれなかった。 吉良家庶流から養子に迎えられた14代今川氏堯(範以外曾孫、高久の外孫でもある)も実子を残さず没したため、15代より、品川家初代の高久の男系子孫で補っている。 品川伊氏は実子2人を相次いで今川宗家に送り出し、16代・17代当主としている。今川宗家は17代今川範主(伊氏の次男)ののち、幕末まで安定した男系相続を続けることになる。 その一方、品川家は成人の後継者を失い、生後間もなくして家督を継いだ4代範増(伊氏の三男)が正徳3年(1713年)にわずか2歳で夭折したため、一旦断絶してしまう。 翌年、伊氏の弟の信方によって高家旗本品川家の再興が認められるが、家禄を300石に減らされた。 6代氏如が実子を残さなかったため、品川家では高久の男系血統が絶えた。7代以降は旗本の子弟を迎えて家名を存続させている。 また品川高久の次男・品川高寛は分家を立てており、一般の(高家ではない)旗本となっている。 幕末維新期の当主は品川氏恒(奥高家、従五位下侍従兼式部大輔)。慶応4年(1868年)3月に高家職を辞し、5月に朝廷に帰順、本領安堵され、朝臣に列して中大夫席に列した。その後、氏恒は隠居したと見られ、明治元年11月の勤王奉答書には「品川第二郎氏次」の名義で署名されている。 明治2年(1869年)12月に中大夫以下の称号が廃止されるに伴って士族に編入。 明治17年(1884年)に施行された華族令で華族が五爵制になった際に定められた『叙爵内規』の前の案である『華族令』案や『叙爵規則』案では元高家が男爵に含まれており、品川家も男爵家の候補として挙げられているが、最終的な『叙爵内規』では高家は一律除かれたため、結局品川家は士族のままだった。 |
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【投稿日】2026/05/12 07:45:42 【投稿者】匿名さん |
| 武蔵は奈良時代に天武天皇曾孫の田中多太麻呂が開墾しています。 田中の娘中臣豊子(幼名田中吉備)は桓武天皇に嫁ぎ中臣王(平高望の祖父)と恒望王(清原令望の祖父)を産み身内の伊予親王の冤罪に巻き込まれ親子で亡くなり恒望王は武蔵に祀られました。 田中と坂上苅田麻呂との子孫を身内の藤原乙叡(伊予親王の冤罪に巻き込まれ他界)に嫁がせていたので冤罪死した彼の遺児御井子は坂上を名乗って嵯峨天皇に嫁いだ後、親の無実が判明し宮人田中氏に戻ります。彼女が産んだ嵯峨源氏源澄の娘保子と棟貞王が結婚。坂上田村麻呂(田中多太麻呂の孫)の娘春子(桓武天皇の妻)が産んだ葛井親王が源澄の嫁と姉妹である斉子内親王と結婚し棟貞王(田中のコネで武蔵守に)が産まれました。この夫妻の娘を清和天皇に嫁がせ清和源氏につながります。清和源氏にとっても桓武平氏にとっても武蔵は先祖ゆかりの地です。 田中は紀氏とは身内で紀飯麻呂の娘も妻にし田中飯麻呂という息子もいましたし、源澄の子孫の源蔭が紀全子と結婚し娘に紀姓を名乗らせ陽成天皇に嫁がせ陽成源氏源清蔭が生まれています。田中の子孫の醍醐天皇の娘を妻にしました。田中と紀氏の系統の陽成源氏や醍醐源氏も武蔵に住んでいた可能性があります。 平高望の妹が平真砂子という名前でしたので先祖石川宿禰の川と砂を組み合わせて砂川と呼んでいたのも当初は平真砂子のために田中が分与した土地だったからかもしれません。 源氏の時代になり地名の先祖の字を変えた可能性があります。 田中の先祖は聖徳太子で冠位十二階を作った人で子孫に階や山階や高階や皆川を名乗らせました。長屋王(天武天皇の孫。娘の円方女王が田中王の嫁。田中多太麻呂の曽祖父)の冤罪で他界した桑田王の遺児も田中に引き取られ高階を名乗り田中一族と縁組みしています。平清盛の妻は高階氏でした。高階は『しな』がつきます。 田中と百済王の子孫に田口を名乗らせ田中の分家にしていました。 田口の子孫が橘嘉智子で嵯峨天皇皇后でした。 田口の子孫のために口を並べて階の『しな』と同音の品がつく地名にしたと思います。 品は田口や聖徳太子や高階を示す字だと思います。 嵯峨源氏系統が名乗り、嵯峨源氏の子孫から清和源氏が産まれたので清和源氏も住むようになったと見ています。 |
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【投稿日】2026/03/12 07:05:05 【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん |
| 清和源氏足利氏族今川氏流支族の品川氏がある。 |
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【投稿日】2023/07/03 17:44:41 【投稿者】伊勢の悪源太さん |
| 諸説あるが、現在の品川区の品川という地名は、もともとは砂川という地名だったが、いつの間にか訛って品川と呼ばれるようになった。 |
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【投稿日】2017/03/04 13:47:46 【投稿者】だいまるさん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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五三の桐 |
【都道府県】石川県 花山源氏白川庶流。 神祇伯参議白川雅陳王(白川家)の3男である品川 雅直を祖とする武家。 文久年間(1861年 - 1864年)制作の加賀藩士名簿に品川 雅直の後裔、人持組「品川 左門」3000石・五三ノ桐が掲載されている。
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| 【投稿日】2025/09/13 12:31:51 【投稿者】長岡さん | |
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